あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第39回  聖職者の嘘

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・イラストも)

 日本人は挨拶をするときは頭を下げます。チベット人はペロッと舌を出すそうです。なぜ人と出会ったときに舌を出すのか、といえば、自分は舌は1枚しかありませんというしるしだといいます。つまり2枚舌で人を騙したりしませんということの証なのです。

聖職者の嘘

 そこで私は考えました。日本の国会で、その開会式に臨席した玉座の天皇に対して、議員たちがいっせいに舌を出すとすれば……。

 2枚の舌で人を騙すのは道義に反します。だからどの宗教でも、とくに日本人にいちばん馴染の深い仏教でも、殺人、飲酒、女性と共に嘘を禁止しています。

 ただ、その一方で仏教に限っていえば、例外があって、嘘を奨励しています。私たちが嘘がばれたときによく使う「嘘も方便」というのがそれです。

 仏教の聖典ともいうべき「法華経」の中に「比喩品(ひゆほん)」という項目があります。これには生老病死の煩悩におぼれる衆生を救うのには、その方便として嘘を使うのは戒律を犯すことにはならないと述べています。つまり「嘘も方便」という言葉の起りです。

 だから、天照大神がお釈迦様の化身であったり、七夕の行事はホトケ様のお降りになる行事であったり、お盆が亡くなった先祖が戻ってきたりすることが当然のように語られています。「鰯(いわし)の頭も信心から」という諺のとおり、聖職者の言葉には、私ども凡俗の者には大きな夢を与えてくれるものです。

 その嘘で、私の心を打つ話が、ビクトル・ユーゴの『レ・ミゼラブル』という小説にあります。ミゼラブルとは(あわれな人たち)のこと。一片のパンを盗んだことに始まるジャンバル・ジャンという男の生涯を描いたもので、皆さんもご存知だと思います。

 この物語の始めの項の中で、刑事に追われる男、つまりジャンバル・ジャンが、刑事に追われてアパートの一室に逃げこむ場面があります。出入口はひとつしかないこの部屋に逃げこむのを見た刑事は、アパートの戸をたたきます。そして中に入ると、そこには修道女がひとりで祈りを捧げているところでした。

 「ここにいま、男が逃げこんだだろう」と聞くと、その修道女は「いいえ、誰も来ません」と答えて首をふります。それを聞いて刑事は黙って去って行きます。

 修道女は嘘をついた。神にもっとも近い修道女が、絶対に許されない嘘をついたのです。また刑事もその嘘を信じた。刑事は去り、追われていた犯罪者は助かった。しかし、修道女は神の教えに背いた。レ・ミゼラブルの小説は、こうした緊迫した光景が続きます。

 じつは、私があえてこの衆知の物語をとりあげたのは、著者のビクトル・ユーゴが、人間の末期をどう考えていたのかを知りたかったのです。新潮文庫版の佐藤朔氏の訳文には、「草は隠し、雨は消す」という小見出しをつけて、ジャンバル・ジャンの墓の光景を次のような言葉で結んでいます。要約してみます。

 共同墓地の片隅の、草が深くて人の近よらないような木の下に、何の細工もない無記銘の自然石がひとつ。春になるとメジロが来て鳴くぐらいで、誰も訪れる人もいなかった。とあります。ただ何年か前にその墓石に鉛筆で4行の落書があって、それには

「彼は眠る。奇しき運命だったが。
彼は生きた。彼は死んだ。天使を失った ときに。
すべては自然にひとりでに起った。
昼が去ると夜が来るように」

 とあって、その落書も今では消えてしまっただろう。

 とあります。これが、長い物語の結びの言葉です。波乱の多かった人生に夜が来て、そして忘れ去られていく人の墓。ジャンバル・ジャンの墓の光景は、同時にビクトル・ユーゴの描く自分の墓を反映したものだと私は思います。それはちょうど吉田兼好の『徒然草』の第三十段でいう「けうとき山の中におさめて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく卒都婆(そとば)も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の風、夜の月のみぞこととふよすがなりける」という言葉と重なります。

 こうした物語の底には、墓に対する無頓着だった古人の考えがひそんでいます。

 今の日本の葬式仏教が、生きていくことよりも、死後の供養を美徳とする考えとは大きな違いがあります。

 昭和30年の頃、やっと敗戦の苦難から抜け出しはじめた頃、洋画がだんだん上映されるようになりました。その頃に見たフランス映画のひとつに『レ・ミゼラブル』がありました。ジャンバル・ジャンを演ずるのは名優のジャン・ギャバン。彼はその後、『外人部隊』や『望郷』などの名画に主演して人気を博しました。

 あのときの、『レ・ミゼラブル』の場面の一コマに、力持ちの市長が、転覆した重い馬車の下敷になった男を助けるために、その馬車を引き起す場面がありました。拍手喝采する市民たちの中に、ひとり射るような鋭い目をした男がそれを見つめていた。刑事である。

 パンを盗み、脱獄したジャンバル・ジャンの過去が次第に洗われていく。これを演じたジャン・ギャバンの姿は今でもまだ私の瞼に残っています。

 その名優ジャン・ギャバンが世を去るとき、散骨をしたという記事を読みました。どこの海での散骨だったのかわかりませんが、それはたぶん、あの英国に面したドーヴァ海峡の暗い海ではなく、南フランスの明るい海だったのだと想像しています。海の美しさは、人間の死も美しくするのかもしれません。

 中国の諺に「花に百日の紅はない」とあります。平和で小さい毎日を過ごした人はもちろん、華やかな生涯を終えた人にも、夜はかならず来ます。その夜の闇の中に、立派な墓を作る人たちがいます。誰のために? その無駄と思える墓に、あえてこだわる日本の仏教徒の「方便」に、いささか違和感を覚える今日この頃でございます。


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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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