あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第26回  棺と白鳥

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・イラストも)

 埋葬地には鬼が住む。日本では古くからそう言われてきました。淳和(じゅんな)天皇が山陵(さんりょう)を築かないで、山で散骨をしたというのも、このような言い伝えがあったからでした。

棺と白鳥

 埋葬地に鬼が住むのだったら、それでは棺の中には何が住むのでしょうか。沖縄では棺(ひつぎ)のことをタカラバコと呼びますから、ひょっとしたら宝物が入っているとでも考えていたのでしょうか。

 いや、これはまったくの空想ではありません。仏教説話の「稚児観音縁起(ちごかんのんえんぎ)」によりますと、弟子の稚児を失くしたある老僧が、その稚児の遺骸を棺に納めて、三十五日すぎてその棺を開けて見た。ところが棺の中には稚児の遺体はなく、金色に輝く十二面観音の像が現れたと書いてあります。

 やっぱり棺の中には宝物がありました。

 少し様子の違う話を、十三世紀頃の「宇治拾遺(うじしゅうい)物語」(6-2)に見ましょう。これによると、藤原伊尹(これただ)という公卿がいました。彼が新しい家を買って、庭を整地したら古い棺が出てきました。見ると、中には二十五、六歳の美しい尼僧の遺体が現れて、その遺体はまだ生きているように、唇は赤く、あでやかな姿だったそうです。

 ところが棺の蓋をあけると、一陣の風が吹いてきて、遺骸は吹き飛ばされて、たちまち消えてなくなったとあります。

 棺の中や埋葬地から、突然風に吹かれて死骸が消えることを「尸解仙(しかいせん)」といって、高僧の死をたたえるための話だと語る人もいますが、私はひょっとしたら、散骨をして、そのために遺骨が消えたのだ。そんな風に考えたりもします。

 まあ、一応その詮索を横において、「日本書紀」などに見られるヤマトタケルの死を考えて見ます。これは印象に残る物語ですから。

 景行(けいこう)天皇は日本各地を征伐しましたが、その子のヤマトタケルは、常に戦場にあって指揮をとりました。しかし、戦場の生活はあまりにも長すぎた。長いだけ、故郷の大和の風景と妻たちのことが思い出されたのでしょう。タケルが「大和は国のまほろば」と詠んだ歌は有名です。

 タケルが伊勢(三重県)まで来たとき、彼は病になって命を落としますが、その死の直前に作ったのがこの「まほろば」の歌です。

 群臣たちはタケルのために旅先の伊勢に墓を築きました。ところが突然異変が起きて、周囲の人が驚いて見ると、墓の中から一羽の大きな白鳥が、大和の空に向って飛び去って行くのが見えたといいます。そして墓の中を見ると、タケルの衣裳だけが残っていたそうです。

 ちなみに、日本の正史「続日本紀(しょくにほんぎ)」には、大宝二年、 倭建命(やまとたけるのみこと)の墓が大きく揺れる事件があったので、使いを出して鎮魂の祭を行ったとあります。

 故郷はいつも美しい、せめてもの自分の死後の魂はその美しい国に戻りたい。これは生涯を他所で過ごす人間の、せめてもの切ない最後の夢なのかもしれません。昔も今も。


--------------------------------------------------------------------

酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

logo
▲ top