あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第2回 生き盆の話

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・写真も)

 お坊さんの話を聞くときは、眉に唾をつけて聞こう。なにしろ「嘘も方便」といいだしたのは仏教なのだから。その典型的なものに盆がある。

盆花
山梨県南部町の盆花。正月の門松と対比される。

 日本では7月15日を盆といい、この日に死んだ人の魂が戻ってくるという。そして、仏壇に供物をし、死者の供養をする。これは暑い夏の日の、情緒深い日本の年中行事のひとつである。

 待てよ、確か仏教では、死者は極楽に生まれ変わるのが常道であって、煩悩に満ちた人間世界には戻ってきてはならないはずだった。死者が戻ってくるといいだしたのは誰か。仏教の原典である「法華経」にはそんなことは書いてない。それは7世紀ごろの中国の玄応という僧侶である。この人は、ウラボンというのは梵語のウランバナの略語で、7月15日に死者のために供養することだと説いた。これが世にいう「仏説盂蘭盆経」である。日本ではそれから100年ぐらい後の聖武天皇の天平5年(733年)に、盂蘭盆の供養をしている。これは玄応和尚の説に従ったものであるが、しかしこの宮中の行事も、清和天皇の貞観元年(859年)には姿を消してしまう。そして近年、仏教学者の岩本裕氏は、梵語のウランバナは、日本でいうウラボンにはなりえないという論文を発表して注目を浴びた。

 岩本説は正論だと思う。盆は文字どおり器の盆である。かつて中国でもそうだったし、日本でもそうだ。ちなみに越中八尾の「風の盆」は、9月に行われる風祭りの神事で、盆の上に供物をし、踊りをして稲の豊作を祈る行事である。死んだ人の霊を供養する行事ではない。

 日本の田舎ではこれとはまったく反対の、生きている人のための盆行事がある。これを「生き盆」という。これは生きている人たちに対する贈答の風習で、これがむしろ、日本の盆行事の古い姿だと考えられる。例をあげてみよう。

 山梨県一帯では、以前は7月13日を「生き盆」といって、嫁は自分の里へ、分家は本家に、仕事上の関係者は親方へ、赤飯などを作って持参した。これを忍野村では「生き盆まいり」といった。鹿児島県では「死んだ先祖より生きている親を拝め」という諺があるが、生き盆まいりなどは、まさしくそのとおりで、お世話になった人たちに対する感謝の気持ちを、盆にのせて持参したというのが日本の古い作法だった。

 生き盆の贈答を、別名イキミタマとも呼ぶところも多い。江戸時代には秋田県下では7月14日にタママツリといって、家ごとに赤飯や魚などを贈ったり贈られたりしたと、菅江真澄の遊覧記の中にある。神奈川県下ではこれを「生き御霊」といった。やはり本家筋に贈物をする。

 これでおよそお解りいただけると思う。7月半ばに行われる生き盆の風習は、生きている人同志の魂の交換を意味していて、死んだ人のためではなかった。香川県高室町では、7月15日を人間の盆だといって、「御歳暮」をもって夫婦で嫁の里に挨拶に行った。つまり7月にも正月にも同じようなことをするというのは、昔1年を2つに分ける行事があったことを教えてくれる。

 死んで戻らぬ人を、いつまでも供養したがる日本の仏教の裏には、もっと豊かな日本人の思想の歴史がある。だから私は、いつもお坊さんの話には眉に唾をつけて聞いている。

再生 第66号(2007.9)
--------------------------------------------------------------------

酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

logo
▲ top