第23回 野菊の墓
民俗学者・酒井卯作
(題字も)
伊藤左千夫の作品「野菊の墓」はご存じの方も多いと思います。これは好きな人から無理に引き離されて嫁いで行って、やがて病んで死んだ女の墓に、初恋の男が野菊の花で墓を埋めつくすという物語です。前回「花と自然葬」の中でも述べましたが、死者に花を添えるのは、生きている者の死者への思いやりというようにも思えます。
長崎県壱岐島の未婚の死のとき添えられる花つみ袋(森瀬貞氏撮影) |
しかし、実際はそんな感情的なものではなく、花は死者と絶縁するための呪いだと私は考えています。この小説はさらに次のような一節があります。女の墓に詣でるとき「僕は懐にあった紙の有たけを力杖に結ぶ」というのです。力杖とは? また、その杖に結ぶ紙はなぜ? 千葉県には、そういう風習があったのでしょう。その杖に結ぶ紙は力紙(チカラガミ)といいます。
死者に杖を添えるのは日本各地にあります。死んだ人があの世の旅にひいて行くためではなく、杖はあの世とこの世の堺に立てる標識だったと思います。これは中国から来た風習でしょう。その杖に結びのは新しい風習で、本来は花を結びつけるのです。その例を長崎県の壱岐島に見ましょう。
そこでは死後の最初のお彼岸には青竹の頭に椿の花を挿して墓参りをしますし、福岡県の大島では死後3日目の法事に、青竹を墓に立て、その頭に時季の花をさしました。
これは死後何日もたった後ですから、死者との縁切り、もしくは死霊から逃れる呪術だったと私は思います。ちなみに奈良県の吉野地方では、旅で峠を越すときは、道祖神の近所の野花を添えて行かなければ障りがあるという風習が参考になります。もっとはっきりしているのは台湾の事例です。
ここではお産のときは、寝床の下に花を一輪敷いておかないと障りがあるといい、また虚弱な体質の子はタライに7種の花を入れて洗うと良いと伝えられています(民族台湾3-1)。
こうしてみると、花というものは死者を慰めるためのものではなく、生きている者が自分の魂を守り、力をつけることに意味があったということです。壱岐島の不幸な死者のためにつくる花つみ袋も同じことでしょう。
いくら悔やんでも、死んだ人はもう戻ってこないのだから、それももうほどほどにして、死者とは断絶をし自分自身の力を養って新しく生きようとする人のために、花は大事な意味をもっていたということです。諦めが肝心。
再生 第87号(2012.12)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造 酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。