あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第5回 死にたくない人のために

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・写真も)

 普通ならば木の葉の散る秋に死を思う人が多いのに、花の咲く春に死にたがる人がいる。西行などがそうだ。「願くば花のもとにて春死なむ」と詠んで、うまく春に死んだ。西行ばかりではない。長野県の秘境として知られた秋山郷では春の死亡者が多い。聞いてみると、ほんとうは冬の間に死んで弔いはすんでいるのだけれども、雪が深くて役場に死亡届を出しに行けなかったから、雪解けの春を待って届けを出すためだという。飛騨の高山ではもっと厳しかった。冬場に死人があると、それを何人かで担いで雪の山をいくつも越えて、医者のいる町まで出て診断書をもらった。これで初めて死亡が認められるわけだ。

息つき竹
群馬県上野村の墓地の息つき竹

 雪国での死というのは大変なことである。こんなに大変だったら医者をなくするか、それができなければ診断書なんかなくすればよい。それでもちゃんと弔いはできたところがある。福井県若狭大島では息をひきとってもまだ病人で、僧侶が来て枕経を読んで、これではじめて死人となった(日本民俗学2-2)といい、明治13年の「三重県習俗慣行調」によれば、棺を墓に送るまでは病人、墓から戻って、はじめて死者とするという記録がある。

 現代医学でも死をどう判断するかは難しい。脳死、心肺停止などいろいろ聞くけれども、果たして完璧なのだろうか。以前、沖縄北部の村で老女が死んだときがある。棺を担いで墓に行く途中、棺からしずくが落ちてきた。不思議に思って棺を開けてみたら、お婆さんが生き返って粗相をしていたためだった。沖縄ではこんなことがよくあって、これを「後生もどり」といっている。

 やっぱり死の判断は難しい。そこで死にたくない人に良い話をしよう。つまり永遠に死なない方法だ。

 東北地方には人が死ぬと、埋葬地に「息つき竹」というものを立てた。例えば茨城県新治郡では、埋葬した死人の頭あたりに、3メートルばかりの節をぬいた竹を立てた。これは人が死んだ後でも呼吸できるようにという考えから出た風習である。嘘だと思われるといけないから、群馬県上野村の「息つき竹」の写真をのせておく。この竹を死人が口に当てて呼吸をしていたら、永遠に生き続けることができる。竹が腐ったら、また新しく取替えたら良い。こんな風習が生まれた原因には死の判断が困難で、もし地下で蘇生したらという思いもあったかもしれないが、生き続けていきたい人にとっては、まことに好都合な風習である。もっとも宮城県本吉郡大島村では、この竹から死人の魂が出入りするともいう。だから、墓の中で生き続けたい人にも、化けて出たい人にも、息つき竹は必要だったのである。

再生 第69号(2008.6)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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