あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第7回 夫婦は一世

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・写真も)

 結婚というのは、偶然の出会いと騙しあいで結ばれたもの。だからうまくいくはずはありません。清少納言でさえ「契り深く語らう人の、末までなかよき人かたし」(枕草紙四七)というくらいですから、夫婦が最後まで添い遂げることは大変なことです。忍耐、妥協、寛容など、人間の持つすべての美しい言葉を行動に移して、うとましい相手と死ぬまで、いや、死んだ後までも、ずうっと墓の中でもつきあうのです。

夫婦坪瓶
鹿児島県・徳之島の夫婦瓶

 ちなみに関東地方の墓地を見ると、ほとんど夫婦の戒名が並んで刻まれていて、個人墓は少ない。これは夫婦2人が死亡するのを待って建てられたもので、まさしく偕老同穴そのものです。その同穴の中で、もし夫婦喧嘩したらどうしましょう。もう逃げ場がありません。

 そこで、わずらわしい人間関係から離れて、似た者同志で墓を作ろうという運動があるそうです。モヤイの墓で、これは如何にも自由なあの世を願う人たちの終のすみかのように見えますが、しかし人はさまざまです。中には意地の悪い人、だらしのない人、へそ曲がりの人もいるでしょうし、とくに女性はかしましい。はたして墓の中でうまくいくでしょうか。少し心配です。

 それでしたら、日本ではもっと合理的な風習がありました。「全国民事慣例類集」によると、広島県御調郡では女が死ねば、自分の里方の墓に入る習慣がありました。里方にいる嫁も自分の生家の墓に入りますから、結局、家の墓は他人を混じえない身内だけの墓となります。ちなみに長野県下の「紋返し」という風習はその名残でしょう。女が死ぬと、嫁入りのときに持参した紋付を、里方に戻すそうです。嫁ぎ先の墓に入りたくないという人にはよい参考です。

 夫婦は二世という言葉は、死後の人間の魂まで拘束してしまいます。そこで沖縄の愉快な話をして結びにしよう。

 爺さまと婆さまがいて、婆さまが死ぬとき爺さまにいった。私が死んだら櫃(棺)の中から爺さまの名を呼ぶから、そのときは必ず返事をしてくれという約束をした。婆さまは死後、爺さまの名を呼ぶと、そのたびに爺さまは返事をしていたが、だんだん面倒になってきた。あるとき物売りが来たので、事情を話して返事を頼み、爺さまは遊びに出かけた。

 さて婆さまは例の如く爺さまの名を呼ぶと、どうも様子が違う。蓋をあけてみると見知らぬ男がそこにいる。婆さまは怒って櫃から出てきた。物売りは驚いて逃げ出し、婆さまはそれを追っかけ、2人ともどこか行ってしまった。おかげで爺さまは、その夜からゆっくり休むことができたという話です。やっぱり夫婦は一世。ならばこの世では我慢をして終わりますか。

再生 第71号(2008.12)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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