あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第24回  孤独死よ今日は

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・イラストも)

 人生劇場の幕が下りて、死ぬときはひとり。これは寂しい。道連れを探してみたって、こればかりは仲間が急にできるわけではありません。そこでできることは「おくりびと」よろしく、思わせぶりな作法で大勢の人たちに名残りを惜しまれながら、あの世へ出発。しかし、結局は一人の旅立ちです。

孤独死

 都会では孤独死が社会問題になっていますが、これでは結局孤独死五十歩百歩です。

 その点、ムラ社会は良いと思います。ムラ社会といえば今では白い目で見られますが、どういたしまして、そこには失われた日本人の情けの世界があります。

 例えば、飛騨高山や奄美大島などでは「泣いている児に乳飲ます」といって、母親の留守中に乳のみ児が泣いていると、通りがかりの女性が自分の乳を飲ませたものです。他人の児と自分の児の区別はつけませんでした。またムラに危篤の病人がでると、組中の者が神社に一晩籠って全快を祈る風習を高知県高岡郡では「お通夜」と呼んでいます。鳥取県では同様なことを「裸参り」といって、若者が水垢離をとって全快を祈ったものです。

 ムラ社会は他人のために祈り、他人の痛みを共有するところ。連帯と融和の世界でもありました。そのは落伍者を出さない情の世界でもあったのです。良質の死というのは、このような社会に生きた人たちの生涯をいうのだと私は思います。

 ところが、このムラ社会が、今、音を立ててくずれようとしています。昨年、一年ぶりで長崎県の故郷の村に帰って驚きました。この一年間のうちに、二人の老人が首を吊ったというのです。平和だった過疎のこの村の前代未聞の悲劇です。80歳を越した老人が、家の梁に縄をかける姿を想像するだけでも哀れです。孤独死なんて、まだなまぬるい。

 そこには、経済成長が弱い立場の人間を置き去りにした政治の闇が見えます。笑う人と泣く人の二つの型が鮮明に分れた様子も見えます。ちなみに2010年度の警察庁の統計を見ますと、警察が出向いて調べた遺体は、1991年から毎年増え続けて、2010年には約2倍の119万体です。その増えた数は孤独死の増加が原因とあります。看取る人がいない哀れな死者が急増しているのです。

 さて、そこで私どもを待っているものは老々介護じゃ孤独死か。それとも首を吊るか。

 北海道では間もなくラベンダーの花壇づくりが始まります。



再生 第88号(2013.3)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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