あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第4回 姥はなぜ捨てられるか

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・写真も)

 皆さん覚悟はいいですか。60歳になったら崖の上からポイ。

 日本では「60の坂落し」とか「谷こかし」などといって、60歳を超すと崖から突き落としたという場所が各地にある。崖がないからといって安心してはいけない。山がある。長野県の姥捨山は平安朝の頃から有名で、この山の麓の長楽寺の裏には、捨てられた姥が悲しみのあまり、石になったという岩が今もある。

おばすて駅
長野県篠井線のおばすて駅。この後に姥捨山がある

 とにかく日本では年寄を捨てたという話が多すぎる。北は青森から南は沖縄までこの話がある。なぜそんなに多いのか、学者の説明によれば、これはほんとうは親孝行をすすめるための話であったという。なぜなら、この話の結末は難題を老人が解決してくれたり、親の愛情を知らされたりして捨てるのをやめたという結末がついているからだ。

 頭の中では私もそう思っている。しかし、心の中は別だ。じっさいに老人を捨てたかもしれない、そんな気がするからである。例えば柳田国男の「遠野物語」を読んでみると、山に捨てられた老人の中で、まだ元気な者は、ときどき里に下りてきて畑仕事をしたという話がある。これに似た話は私も東京奥多摩の東村山で聞いた。50歳になると老人は山に捨てたが、身寄りのある者は里に下りてくる。そうすると家では、生まれ変わったといってお祝いをしたそうだ。

 命の大切さは誰にも分かっている。生きることの大変さも分かっている。しかし、果樹が実がなりすぎると、余りの実は自然に落下するというように、人間の社会も変わらないと思う。鹿児島県の徳之島では「60余れ」という諺がある。60歳になったらもう生産に役立たないから捨ててしまえということらしい。余分なものを淘汰しなければ、社会を存続させていくことは難しいしいときもある。そのためにはなんらかの犠牲がいる。いちばん手近かな方法は生まれてくる子を殺すか、年寄りを捨てるか。ということになってしまう。

 関係ない。それは空想の世界だ、そう思う人のために現代の話をしよう。日本では「高齢者虐待防止法」というのが06年にできた。法律を作らなければならないほど、老人に対する虐待がひどかったからである。ところが昨年の朝日新聞(07年12月26日)に「高齢者虐待後絶たず」という記事が載っていて、公式だけでも被害者1万2千余、32人死亡とある。

 元気なときはみんな優しい。しかし自分のことが自分でできなくなったときどうなるか。皆さん、覚悟はいいですね。

再生 第68号(2008.3)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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