あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第3回 お経と泣き女

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・写真も)

 死んだ人を良い気分で送り出すか、それとも未練を残したまま送り出すか、そこが思案のしどころだ。なにしろ化けて出てこられたのでは困る。そこで、私たちの先祖はこれについて良い方法を知っていた。その話をしよう。

那覇の葬送
その年に死亡者のあった家で、故郷の島に帰れない者は1月16日に海の向こう自分の島に供物をして祈る=沖縄・那覇三重城で

 葬式というのは呪術である。呪術には必ず言葉を伴う。だから死人には何らかの言葉をかけてやらなければ、本人はあの世に行って良いものやら、悪いものやら、その去就に迷ってしまう。だから、どうしても別れの言葉をかけて、うまく旅立たせることが必要だ。そこで登場するのが僧侶の読経である。

 今ではこれが葬式には不可欠のものになったようだが、しかしあのお経を聞いて、ほんとうに死人は満足してあの世に行けるかどうかは怪しい。第一、お経は聞いてもわからないのだから。それに僧侶が庶民の葬式に携わるようになったのは、せいぜい江戸時代前後。それ以前、または仏教の手の届かなかったところはどうだったのだろうか。

 日本では昔から「1升泣き、2升泣き」という言葉がある。葬式には泣き女がいて、報酬をたくさんもらうと、うんとサービスに泣いてくれた。じつは泣き女こそ葬式の立役者なのだ。例えば岡山県府中町付近では泣き女のことをヒキアゲ婆さんといって、葬式には必ずこの人を頼んだ。そうするとこの婆さんは、家の入り口に手拭いを被って立ち、大声でワーワーと泣いてひと休みし、「悔やみに泣いてくれんか」というと何回も泣いてくれた。

 他人に泣くのを頼むのではなく、身内の者が泣く場合もある。鹿児島県中甑島では親が死ぬと、その娘などが大声で泣いていかないと、村の笑い者になるという。

 泣くだけでは本当は意味がない。悔やみの言葉を添える必要がある。朝廷でも哭(こく)と誄(るい=しのびごと)が必要だったが、庶民たちも同じだった。長崎県壱岐島では墓石にもたれて泣きながら「アヨーコレヨー、これから誰を旦那と呼べば良かとかー」などくり返すそうであるが、佐渡でも泣きながら口説を唱えるという。ところが、僧侶がお経を読むようになったら、この泣き悔やみの風習はなくなったそうだ。

 親しい人たちのわかりやすい言葉と、涙に送られて逝った人たちは、しだいに僧侶の唱える難しいお経に耳を傾けながら、旅立つことになる。これではうまくあの世に行けるわけがない。

 私はかつて、知人から葬儀の一切を頼まれたことがある。それで僧侶を呼ばずに、懐かしのメロディーをテープで流して終えた。死んだ人はたぶん、これで悦んで逝ったと思う。なぜなら、6年たった今まで化けてでてこないから。

再生 第67号(2007.12)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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