第20回 死の商人たち
民俗学者・酒井卯作
(題字・写真も)
入院していて考えました。もしキリスト教の神父が近くにいたとしたら、病院にきてこういうでしょう。「あなたの回復を神様にお祈りしましょう」。ところが日本のお寺の僧侶は見舞いには来ません。来たとしても「あなたのためにお経を唱えましょう」なんて絶対にいいません。その代わり、死んだらすぐに飛んできて経文を唱えます。
世界中のおそらくどの民族も、死者を送るときは悼みの言葉を必要としました。これがないと死者は落ち着くところに落ち着かないのです。では、日本人はどうでしょう。
かつて日本各地には「泣き女」がいました。弔いがあると葬家に来て、切々と泣きながら悔みを述べてくれるので、遺族もまた一緒になって涙を流したものです。また、土井卓治氏によれば、高知県安芸郡北川村では妻が死ぬと、夫は「もう暇をやるぞ」と最後の言葉をかけるし、夫が死ぬと妻は「もう暇をもらうぜよ」と言葉をかけたそうです。これを縁切りいいますが、死に直面した夫婦の絆を断腸の思いで断ち切る、これは最後の悲しい言葉です。
日本人は、もともと魂を操ることに優れた民族でした。死の問題だけではありません。病気だってそうです。古くは平安朝の頃は病気を人に移すことで、自分の病気が治るという仕方が頻繁にありました。例えば藤原道長の三男、教道の奥方が病気になって、これがなかなか治らない。それはたぶん悪霊が憑いたのだろうということで、憑人(ヨリマシ)を病人の側において、その憑人に病気を移す祈祷を行ったことがあります(「栄花物語」二十一)。病気を移された人こそ大変ですが、当時はそれが常識でした。笑ってはいけません。今だって、風邪は人に移せば治るというではありませんか。 今は代行業が盛んな時代です。葬儀屋から僧侶のお経、さらには代理出産だってあります。だから、死にたくない私たちは、もうしばらく待てば、代わりに死んでくれる商売が生まれると思いますから、諦めないで頑張りましょう。
再生 第84号(2012.3)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造 酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。