あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第13回 睡眠と永眠

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・イラストも)

 医者は人を死なせまいとして、けんめいに手を尽くす。僧侶は早く葬式を出したいと手ぐすねを引く。さて、私たちはそのどちらに義理を果すべきでしょうか。

 政府は老人福祉の充実のために力を尽くすという。一方では後期高齢者への増税、介護保険料の天引きなど、年寄りを絞りたてる。さて、私たちはそのどちらを信用すべきでしょうか。

 人間も政治もややこしい。本音は働けなくなれば、早いとここの世から消えてもらいたいということに決まっています。第4回目(本誌68号)に「おば捨て」の伝説をあげて、60歳になったら崖の上からポイ、という話をのせました。これが伝説だなんて呑気に構えていてはいけない。年寄りに早く死ぬように祈る風習などは、切実な人間の願いがこめられているのです。

枕元

 沖縄の那覇では、以前、88歳の米寿の祝の前夜、夜も更けて、その老人が眠った頃、枕元に供物をして、家族の者が「どうぞ早く死んで下さい」といってお祈りをしたそうです(那覇市史・民俗編)。もう十分に生きてきたのだから、ぼつぼつこの辺でお引取り下さいということだから、世の中は厳しい。まさしく生前葬の元祖です。

 これとは反対に、福島県会津地方のように、人が危篤になると屋根に登って、升をたたきながら、病人の名を呼んで生き返りを願う「魂呼(たまよ)ばい」の風習もあります。

 この二つの風習を比べてみて、私たちは死ぬべきか、生きるべきか迷ってしまいます。とにかくはっきりしてもらわないと困ります。

 困るのは日本語の使い方。例えば伊豆の八丈島ではオジャレという言葉があります。おいで下さいという意味ですが、分かれるときにも使います。だから人が死ぬと「オジャレヨーイ」といって泣き、来客があるとやはり「オジャレヨーイ」といって悦びます。奄美大島でも同じ、来客があると「イモーレ」といって招きいれるし、客が帰るときも「イモレヨーイ」といって送ります。馴れないと、行くべきか帰るべきか迷ってしまいます。一つの言葉の中に相反する意味があるので、日本語の面白さと難しさがここにあります。

 ついでにもう一つ。眠りというのがそれです。ふつうは眠りは睡眠、これはまだ生きているしるし。ところが長く眠るのは永眠で死を意味します。つまり死と眠りは兄弟だといわれるゆえんです。眠りも愚痴もほどほどというところでしょうか。



再生 第77号(2010.06)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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