あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第17回  樹木葬について

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・写真も)

 今の時代、埋葬地に石塔を立てるなんてもったいない。木です。木!!  石塔の石材の8割以上は中国産といわれていますが、石塔を立てるというのは、そもそも怠け者の発想。昔は埋葬地には、今も見られるように、板作りの卒塔婆を毎日、または7日ごとに立てて死者の霊を弔ったもので、石塔はありませんでした。これでは患わしいというので、石で卒塔婆を作って板塔婆の代用とした。この発案者があの平安朝の藤原道長。当時の記録「栄華物語」には「石の卒塔婆一本ばかり立てれば、又参り寄る人もなし」とあります。

藤野町の古い墓地
神奈川県津久井郡藤野町の古い墓地。大木になった死者の横に卒塔婆がある。

 つまり板塔婆を石にすれば、もうあの患わしい板塔婆はいらないうえに、お参りする必要もないということで、まさに墓の近代化、信仰の合理化ということです。今も石塔の側に板塔婆が立っていますが、あれは重複で無意味です。

 日本(沖縄を除いて)の伝統として、墓地に立てるものは木です。卒塔婆はこの木の亜流です。以前、石材業者の大野屋が作った宣伝「くらし情報局」(2009・3・4)には「日本初の樹木葬は、1999年の岩手県一関市に登場しました」とありますが、こんなの嘘。すでに室町時代の能楽「隅田川」には、死んだ梅若丸の塚に柳の木を植えた物語があります。これと似た風習は、近年まで日本各地にありました。

 例えば新潟県西蒲原郡岩室では、以前は埋葬地はどこでもよかったが、埋めたところには若木を1本挿しておくだけ。2、3年するとその木も枯れて、墓がどこだか分からなくなってしまいます。ところが、挿したその木が、往々にして根づくことがあります。写真を見てください。これは神奈川県津久井郡藤野町の墓地です。杉の若木を挿しておいたのが根づいて、ごらんのように、今は大木に成長してしまいました。側に立っているのが卒塔婆です。

 死者の魂が大自然の中で浄められていく信仰をはっきり見ることができるのは、岡山県北部地方です。この一帯では人が死ぬと、大山(だいせん)に登って、山に1本の木を植えます。これをミサキ木と呼びますが、こうすることで死者の魂は聖なる山に消えていくわけです。

 美しい山を切り開いて石ばかりの墓地を作るか。それとも緑の山を残して、そこを死者の魂の住処とするか。それが人間の賢いか愚かさかの分かれ目です。日本では縄文時代の終わりの頃、ローマ時代の哲学者セネカはこういいました。「私は墓のことは気にしない。自然が残されたものを葬るのだ」(全集6・142ページ)。セネカは自然葬の元祖だ。私も賢くなりたいです。



再生 第81号(2011.6)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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