あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第6回 人形(ひとがた)流し

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字も)

 日本人は流すということが好きな民族である。忘れてはならないことも、75日たつとみんな水に流して忘れてしまう。いつまでもこだわっていると、かえって馬鹿にされる。

 流すので知られているのは3月の雛祭。これはいつまでも飾っておくものではなく、すぐに流してしまうものだ。古くは源氏物語の「須磨」の項に、人形を海に流す場面があるが、高知県安芸郡の村ではこの日は女の悪日で、お雛様を身代わりにして祭り、翌日に川に流してしまう。つまり人形に托して厄を流してしまうのだ。ちなみに岩手県江刺郡田原村では千雛祭といって、大病をすると、紙で雛様をたくさん作って川に流すとなおるといって、じっさい全快した人もいた。

案山子
徳島県海流域に立てられた死後7日目の案山子(近藤直也氏撮影)

 雛を流すことが疫病退散の意味を持っていたとすれば、3月の行事に限らない。岡山県阿鉄郡下のように、盆の16日にワラ人形を作って海に流し、後をふり向かないで逃げ帰る風習も同じ意味を持っていた。青森のネブタ流しも、もちろんこの行事の一環である。

 こんなことを考えながら死後の行事をみると、やっぱり気になることがある。死と川の関係である。例えば長野県諏訪地方では川渡りということをした。死人に経帷子(きょうかたびら)を着せ、その上からさらに大きな目の荒い白衣を着せて送った。川渡りというのは、たぶん三途の川のことと思うけれども、川については近藤直也氏の面白い報告がある。

 徳島県三好郡の海部川流域の村に残る、死後7日めの行事がそれだ。この日の夜、死人そっくりの案山子を川原に立て、その足許には枕飯を供えておく。それから一声だけ死人の名を呼んで逃げ帰るという(徳島地域文化研究5号)。一声というのには意味がある。弔いのときの寺の鐘は一つ。幽霊の呼ぶ声も一声だけ。つまり一声というのは死者との絶縁を意味する言葉でもある。さらに海部地方では、川原に立てられた死人を象徴する案山子は、川が増水すると、自然に流れてしまうということである。この風習から、元は死者を川に流したと考えるのは唐突だといえるだろうか。私には朝日新聞(1990年3月4日)にあった、ブータンで「この国の人たちは墓を持ちません。死者の灰は川に流します」という記事が頭にある。庶民が石塔を建立しはじめたのは、日本ではせいぜい300年。その裏には 死者を自然に戻す風習があったのかもしれない。

 水に流すというのはこだわりを清算すること。帰ってこない人のために、いつまでも悲しみを引きずっていたのでは、新しい明日は生まれない。水に流すことも人生の大事な要件である。

再生 第70号(2008.9)
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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