あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第36回  別れの一本榎

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・イラストも)

 男女の悲劇は出会いに始まる。出会いさえなければ別れの辛さはないのに、若い人たちは、必死になってその出会いを求めようとしているのです。往々にして明日になれば、人生の辛い塩をなめるとは知らないで。神かけてまでの良いめぐり合いを求めようとしています。

別れの一本榎

 東京は千代田区の、JR中央線の飯田橋駅から九段坂に向った飲食街の中程に、東京大神宮と呼ばれる神社があります。ここは木立に囲まれた閑静な境内で、夏の暑い日などは快適な涼み場所でございます。

 この神社の持ち味は縁結び。見て下さい。境内の一角に占める絵馬の数々。その絵馬に書かれた願文を読むと、出会いを求める若い人たちの切々とした願いがにじんでいます。

 絵馬やオミクジだけではまだ物足りないと考える人もいると見えて、社殿の中から太鼓の音が聞こえてくるのは、神職に頼んで、神様に直訴しようとする、いじらしい若者のいることが想像されます。

 そう。神様の導きとあれば、これは間違いなく良縁に恵まれることは必定。安心です。

 ところで、私の生まれた長崎県の西海町では、以前は「牛見」ということをしました。年頃の娘さんのいる家の飼い牛を見に行くのです。

 役牛ですから、当時は農家のどの家でも牛を飼っていました。お昼どきの家族のいる頃を見計って、実は牛ならぬ娘さんの様子を見に行くわけです。お茶の出し方、家の中の整理の仕方など、牛見はチラリ、チラリとそれを横目で見ながら、娘さんの品定めをします。

 縁談はこうして成立します。神様の力によって結ばれる縁と人間のとりもつ縁。つまり神の思し召しと人間の誠実。そのどちらが確かなのか。その結論は読者に一任いたしましょう。私はひそかに考えます。じつは神様は祈るものであって、信用するものではありません。その理由を申し上げます。

 縁結びの神の鎮座する飯田橋から北の方の板橋区には、神の祝福によって結ばれたと思われる人たちの、別離の呪いをする聖なる場所があります。正確にいうと、東京都板橋区本町十八。旧中山道の道沿いに「榎大六天神」という祠(ほこら)があり、ここで祈れば、うまくお別れができるというのです。

 ただ、オミクジを引いて祈れば良いというわけではありません。ほんの少しばかり手間がかかります。その方法を内緒でお教えしましょう。

 この小さな神社の入口に一本の大木があります。榎(えのき)です。この榎の幹の皮を剥いで、別れたいと思う人に、煎じて内緒で飲ませる。そうすれば効果はてきめん。泣いたり、殴ったり、家庭裁判所まで行ったりしなくても、自然に別れられるというもの。

 江戸時代はかなり有名であったとみえて、たくさんの不幸な参詣人たちがこの木の皮を剥いで持ち帰るために、とうとう枯れてしまい、二代目の木を植えてみたら、この二代目も剥がれて裸になり、枯れました。現在立っている榎は三代目。

 これではいかん、というので、今は木の幹の部分を竹で囲いを作って幹を保護しています。少し商才にたけた人がいたら、どこかの榎の木の皮を刻んで袋に入れて売ったら儲かるのにと思うのは、貧乏症の人間の考えること。今はその竹に無数のオミクジの紙が結ばれています。

 もちろん、オミクジだけではありません。境内に下っている絵馬の文字を見ると、少しばかり暗然とします。いわく「〇〇家との縁が切れますように」「不誠実な彼と問題なく別れたい」「両親が早く円満になりますように」などなど。はっきりと相手の住所と名前を書いたものもあります。

 通称「縁切り榎」はよほど有名だったとみえて、文久元年(1861)、皇女和宮降嫁(かずのみやこうか)のときは、この縁切り榎のあるところを避けて通ったといいます。そして、例の榎の木にはすっぽりとムシロを被せたと伝えられています。

江戸川柳にも
「板橋の三下り半の礼参り」

 という句があるくらいです。三下り半は、ご存じのとおり離縁状のこと。縁切り榎は他にも川越街道にもあったようですが、この板橋のはとくに有名だったに違いありません。

 身分制の強い江戸時代ならいざ知らず、現在は自由だといわれる時代。それでもなお、別れようにも別れることのできない不幸な人が、如何に多いかということを知らされます。

 この別離に悩む人たちは、あるいは東京大神宮で、良縁を祈願する人がいたように、神かけて良縁を祈った人たちであったのかもしれません。そうだとすれば、神様というものは、あまりアテにできないものと考えられます。

 そこで私は考えました。神かけて祈った良縁と、田舎の牛見のように、人間の力で結ばれた縁と、どちらが堅実かということです。

 かつてビクトル・ユゴーは、その「レ・ミゼラブル」の中で、パリの浮浪者のことをこう述べています。ある死刑囚が馬車の中で教誨師(きょうかいし)の話を聞いているのを見て「あいつ、坊主と話してやがら!弱虫!」(新潮文庫3の19頁)。

 浮浪者たちは政治の庇護によってではなく、自分の力で生きている。神様は暖かなねぐらを与えてくれるわけではないし、寝ていて食べ物を恵んでくれるわけでもない。すべてが自分の判断と力によって命を繋いでいる。宗教に頼ると人間の思想が骨抜きにされる。つまり、生きる強さが奪われてしまうのだ、という考えがあったのでしょう。

 先日、こんな新聞記事を読みました。コロナウイルスで国民ひとりひとりに十万円の給付金があった。ところが決った住居をもたない生活者がいたので関係者が、その給付金の話をしたら、そんな金をもらっても使いみちはないよ、といって断られたというのです。

 野生の人間には強さがあります。文明社会が人びとを孤独にするのだったら、その孤独にうち勝つために私たちは強くならなければならない。強くなるためにはどうするか。それは板橋の榎の木の皮を剥いで飲まなければいけない。急がないと、榎が枯れてしまいます。

 こうして、神に背いた者も背かなかった者も、死という偉大な別れを迎えるのであります。


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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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