あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第32回  あぁ、盆踊り

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・イラストも)

 暑さの残る夏の夜、浴衣姿に下駄はいて、美しい月影を踏んでの盆踊り、風情がございます。坊さまたちはこの盆踊りについてこういいます。

あぁ、盆踊り

 死んだ人の魂が、盆の十五日に戻ってくる。それを迎えて送るための喜びの踊りだと説きます。つまり先祖迎えの大事な行事だということです。だから長野県下伊那地方のように、「ナンマンダーボ、アミダの浄土へ早よ急げ」というような盆歌も生まれるわけです。

 いや、もっとはっきりしているのは、四国の松山市に属する二神島辺の盆行事です。この辺では位牌を背負って、さらに死者の片見の着物を着て盆踊りをしたといいます。

 これは萬井良大氏が神奈川大学刊「歴史と民族 35号」の中で報告したものです。今はもう行われていないようですが、仏様が、この世に迎えられて喜ぶ様子を伝える少し珍しい例です。

 しかし盆踊りの歌や行事をみると、このような仏事を歌う例はわずかで、ほとんどが豊年を祝うめでたい歌が盆歌の特徴です。それを東北地方に見てみましょう。

 民俗学者の柳田国男が大正3年(1914)に青森県八戸で盆踊りを見ています。旧8月15日の月夜、女性だけで輪になって踊り明かすそうで、そのときの歌が問題です。それは

 なにゃとやーれ・なにゃとなされのう。

 というもので、たったこれだけの言葉を繰り返して歌います。柳田にはその意味がわからない。そこで前夜に踊ったばかりの宿のおかみさんに聞いてみても、笑って教えてくれなかった。

 それから6年ほどたって柳田が再びこの土地に来てみると、その宿はもうなくなっていた。そこで村の老人にこの歌の意味を尋ねてみたら、それは恋の歌だと教えてくれました。それは「何はともあれ、あなたの好きなように私をして下さい」ということで、女性が男に呼びかける恋の歌だということです。(「雪国の春」所收「清光館哀史」より)。

 こんなことは盆の踊りだからこそいえること。とても素面ではいえないことです。柳田の質問に宿のおかみさんが笑って答えなかった理由がわかります。おかみさんもその歌の訳はちゃんとわかっていたのです。

 性の解放、そんなことが、盆の行事にあることは珍しくありません。例えば兵庫県北部の生野銀山地方の盆踊りは、2メートルほどの長い布で顔を覆うて踊りますが、この長い布は、踊りが終ると、好きな女と一緒に寝宿に泊まって、その契りのしるしとして女性に与え、女性はそれを帯として使ったといいます。(郷土風景2-17)。

 盆は先祖の祭り。そんな不謹慎な。と坊さまたちはいぶかるかもしれませんが、それは坊さまたちの身勝手な解釈で、もとの意味は稲の豊年祭だったと私は考えます。

 ちなみに栃木県や福島県の山間部では、いずれも盆踊りといわないで豊年祭と呼び、伊豆の新島では長者踊りと呼んだように、必ずしも盆という言葉は使っていません。それに期日も7月15日ではなく、富山県滑川地方や八尾のように、8月1日から踊り始めるところもあります。8月1日ははっさく八朔(はっさく)、つまり稲の初穂を神に供える日です。

 豊作を祈る氣持と、人間の出産は共通していますから、いきおい性の解放とは結びついてしまいます。万葉集の東歌(あずまうた)に「にふなみにわがせをやりて祝ふこの戸を」そっと叩いて忍んでくる男のいることが歌われています。新嘗(にいなめ)祭、つまり初穂の祭りに夫は出かけていない間の妻の出来事もあったのです。

 日本のずっと南に下って、琉球列島に行くと、盆の氣配はなくなります。例えば奄美大島地方では、8月踊りで、盆踊りとはいいません。八月十五夜に男女とも輪になって踊ります。男たちは小太鼓を手にして、めでたい内容の歌を百あまり、即興の歌まで加えたらきりがないくらいの島歌の数々を歌いながら、十五夜の月が沈むまで踊り続けます。そこには、死んだ人が戻ってくるようなそんな暗い歌はありません。時季はいま、稲の收穫が終ったばかりの安息の日です。

 さらに南に下って沖縄本島でも変りません。北部の農村では八月十五夜にウスダイクというて、15.6歳から50歳前後の女性たちが輪になって踊ります。そのときの歌も仏教とはまったく縁のない恋歌が多いのです。その頃はもう沖縄は稲の収穫は終っています。

 さて、こうしてみると、私たちが盆踊りと呼ぶ集団踊りは、その元の形は、南の島の八月踊りのように、豊作祝いから始まったのだ、と考えることもできます。

 黙っていても世の中は変っていきます。言葉に出せば誤解も生じます。昔、柳田国男を悩ませた八戸の十五夜の踊りも、変なことからその趣きが変ってしまいました。その変りようを朝日新聞(2017・7・1)の『be』欄でみましょう。

 かつて柳田国男を悩ませた八戸の十五夜踊りが、驚いたことには今イエス・キリストの祭りとして行われているというのです。

 なぜ、この踊りがキリストの祭りとなったのか。それは今から約50年ほど前に、ある新興宗教の教祖が来て、この村の丘に十字架を立て、キリストはゴルゴタの丘で刑死したのではなく、八戸のここまで来て死んだのだ。そういって拝み始めたのが始まりだといいます。

 このキリストの祭りを、村ではもっとも由緒のあるみたけ三嶽神社の宮司の玉串奉奠から始まるというところもまた変っています。祭りの日は6月4日。もう十五夜とは関係ありません。ただひとつ「ナニャドウヤラー、ナニャドナサレノ、」という踊り文句だけは変りません。新聞記事にはこうありました。

 「呪文めいた不思議なフレーズ」。

 柳田国男が6年かかって、やっと理解したという歌の意味とその心は、すっかり死んでしまったようです。艶やかで豊かな日本の文化が、容易に捨てられていく島国の悲しい姿を、私はここに見ることができるように思います。


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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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