第38回 地震・鯰・石塔
民俗学者・酒井卯作
(題字・イラストも)
日本ではいちばん怖いものをいう時に、「地震、雷、火事、親父」という言葉がありました。今は親父は恐いものの中には入らなくなりましたが、あとの三つはいぜんとして怖いです。雷については先号でふれました。ついでですから地震の話もしておきます。
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なぜ地震が起こるのか。じつはその構造がわかったのは明治になって、新政府が英国から招いた科学者の調査の成果によるものでした。それまで、地震をもたらす原因は、巨大なナマズが地下で暴れるからだと信じられていたようです。
なんで、あんなグズグズした生きものが、暴れるのか不思議ですが、そこは宗教の問題。グーッタラな恰好のゆえに重宝がられていたのでしょう。栃木県下では、このナマズを食べると病気をしないなどといって、とくに病身の人は悦んで食べたといいます。今でも台湾では市場に行くと、魚屋の店先などには1メートルもある大きなナマズが、頭から水をかけられて眠っているように見えます。
売るからには買う人がいるのでしょうが、いったいあんな大きなグロテスクな魚をどうして料理して食べるのでしょうね。
朝鮮の孫晋泰の手による『朝鮮民譚集』(1930)には、やはりナマズは大自然の中では大きな役割を果たします。例えばナマズは海中の大きな穴に住んでいて、その穴から出るときは、海水は満潮になり、穴の中に入ると干潮になるのだと語っています。つまり潮の満干はナマズのしわざということです。
日本では地震を起すのはナマズであり、朝鮮では海水の動きを支配するのはナマズです。ナマズは確かに怖い。そして怖ろしい。
科学者たちは地震の構造を、地殻の中に自然に起る急激な変動だと、どの辞典でもほぼ同じように述べています。
科学者は救世主です。地震の構図がそこまでわかっていたら、ではなぜにこの不幸をもたらす地震の予防ができないのでしょうか。
じつは多くの庶民たちは、賢明でした。この科学者たちの出現以前の江戸時代、地震の予防策はちゃんとわかっていたのです。
つまり地震をもたらす元凶はナマズが暴れるからであって、そのナマズをおさえる工夫をすれば地震は防げるのです。ではどうして抑えるか。それは要石(かなめいし)ともいう大石で、これをナマズの上に被せるという仕方で十分です。
具体的にどうしたか。江戸時代、安政二年(1855)に起きた大地震の頃に広く頒布された一枚刷りの版画には、その様子のさまざまな絵が描かれています。オランダのライデン博物館のオーエハント氏の「鯰絵」という日本語の本の中には、それが詳しく紹介されています。この石は「鹿島の七不思議」といわれるくらい霊感のある石で、ナマズを抑えるのには恰好の石で、要石の原形だといわれています。
もちろん地震を抑えるのは要石ばかりではありません。扚子という手もありました。(イラスト参照)
扚子にも霊的な力があるといいます。くだらないと思うかもしれませんが、水商売の人で客の入りがすくないときは、深夜に十字路に立って杓子で招けば客が入るといいます。試してみてください。
要するに科学者がいまだに為し得なかった、地震の予防を、江戸時代の庶民たちは、とっくに成功させていたのです。石のもっている霊的な力を利用するという、手間のかからない方法で。
地震の元凶であるナマズを抑えこむのに、要石などの大石が必要だったとすれば、私はお墓を思い出します。今だって石塔という大石に抑えこまれていますが、この石塔の成立は、一般民衆は江戸時代。これが定説です。それ以前にどうしたか。
いま岡山県北部の美作(みまさか)地方の例をとりましょう。現在美作市になっている金谷という所は、人が死んで墓を作るのをハカツキと呼んでいます。埋葬が終ると小石などで突き固めて石畳の中央に少し大きな山石を立てます。その石が拝み石といって、これが現在の石塔の原形です。
無記銘の山石でも、この石を拝み石と呼ぶからには、死者を大事にしようという気持はあったと思われます。しかし他の地方の事例からすれば、ナマズの要石のように、鎮魂というより、抑え石の考えが元はあったのかもしれません。次の事例を見て下さい。
長崎県五島列島の宇久島では、棺を穴の中に入れて土を被せた上に、小石1個をおいて、これを棺抑えと呼んだといいます(鹿児島民俗2号)。もっとはっきりしているのは鹿児島県奄美大島西阿室の場合です。ここでは葬列に参加した人たちは銘々が浜辺で、手のひらぐらいの小石を拾って、埋葬された墓の上にのせましたが、この石を抑え石と呼びました(やどり2号)。
こうしてみると、石塔をたてて拝み続けるような現代の墓以前には、むしろ鎮魂というか、死者が甦ることを求めない気持ちがあったということが想像されます。生き返ってこないようにと願う別離の儀式が、この「抑え」という言葉の中に見られます。ナマズの暴れるのを抑える要石の風習とこれが重なってきます。
暗い話になりました。では婚礼のときの石を考えて結びにしましょう。
今は結婚式は、式というだけあって荘厳で、まるでお葬式のようですが、以前の婚礼は、それはにぎやかでした。遠部慎氏が愛媛県下の「石打ち」の様子の報告がありますが『民具マンスリー』(53-5)、婚礼の座敷に墓石などの大石を担ぎ込み、祝儀をもらうという風習が近年までありました。嫁が逃げ出さずに、これは婚家にいつまでも落ちつくための呪いです。
日本人は宗教感覚の中には、いつも石が登場します。石の背後には大自然があります。日本人の自然へのこだわりを、今回は抑え石を中心にして考えてみました。
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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造 酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。


