あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第29回  死者の愼み

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・イラストも)

 猫は自分の死期を知っていて、そのときが来たら、自分で隠れて死に行くそうです。死という醜い自分の姿を見せたくない。そういう本能が動物にもあるのでしょう。そんなとき、猫の迷子の貼紙を電柱に貼っても無駄。

死者の愼み

 人間だって、もとは同じだったと思います。私たちは人が死ぬことを「おかくれになった」と丁寧な言い方をします。つまり隠されたということ。ヘソクリを隠すように、ちょっとどこかに内緒で置くことです。

 しかし、死者にとっては、その隠すということが如何に大切なことだったか。それを伝える物語が江戸時代にあります。紹介してみます。

 江戸は深川に釣の好きな老人がいました。中川の川尻に釣に行って、何気なく川辺の繁みに行ってみたら、そこにひとりの侍の死体が流れついていました。

 着流しの姿で、まだ死んで間もない様子。どうやら事件に関わりはなさそうなので、仕方がないから死体を引き上げて、近くの小屋から蓆(むしろ)を探してその死体に掛けてやり、釣はやめて帰宅しました。

 二日ほどたって、その老人が町を歩いていたら、見知らぬ侍から声をかけられました。「この間はいろいろ有難うございました。お礼にお茶でも差し上げたいので、拙宅までお越し下さらぬか」  ということでしたが、老人にはそんな礼をいわれる覚えはない。人違いだろうとは思いましたが、侍の方は丁重な物腰で誘うので、後について行くことにしました。

 大きな屋敷に着いて、奥座敷に通され、侍は、しばらくお待ち下されといって出たっきり戻ってきません。老人はひとりぽつんとして待っていると、どうやらこの家はとりこみがあると見えて、人の出入りが多い様子。

 しばらくしたら、忙しそうな格好で、その家のお内儀さんらしい夫人が座敷に現れて、そこにぽつんと座っている見知らぬ老人を見てびっくり。「あの、どちらさまで」と聞くので、老人はこの家に来たいきさつを話しました。

 その夫人のいうことには、じつは二日ほど前から、この家の主人の行方がわかりません。それで親類中の者が、いま手分けして探しているところです。

 二日前。老人には心当りがありました。あの川尻で水死していた侍のこと。それを話すと、みんなが飛んで行って、蓆を被せられた死人を見ると、まさしくこの家の主人の侍でした。  家の者は悦んで、それ以来、老人とは親類つきあいを続けたと、それは原武男氏の「秋田巷談」という本に書いてあります。

 さて、これは不思議な話です。家まで案内した侍は、あの川で死んだ侍の亡魂だったのか。それに、人の出入りの多かった侍の家の奥座敷まで、誰にも気づかれずにどうして入れたのだろうということ。それよりも私が興味があるのは、水死人に蓆一枚を掛けてやっただけのことなのに、その死人はたいへん悦んだということです。

 民俗学では「身隠(みかく)し」という言葉があります。例えば山口県見島は離島の漁村ですが、波の寄る荒磯に、時折り遭難した死体がうちあげられることがありました。それを誰も気づかずにそのままになっていると、近くに住む人の夢に「身隠しをしてくれ」と頼まれることがあるそうです。

 あられもない姿のまま、あの世に行くのはあまりにも見苦しい。死んでもなお、失いたくない慎みの心があって、それが身隠しという現象なのかもしれません。身隠しは、死者にとっては最後の願いであり、生きている人は、その夢を叶えてやることが、最後の功徳でもありました。

 「古事記」の事代主神(ことしろぬしのかみ)の国譲りの項に、「青柴垣(あおふしがき)に打ち成して隠りき」の一文が見えます。ここでは政治からの隠遁をいっているようですが、青い柴で身を隠すというのは、死者を柴で覆い隠したことから出た言葉だと私は考えています。つまり、国を譲ることも、人が死ぬことも、一種の終りを意味しているということです。ちなみに青というのは、中国では墓のことです。

 これを思わせるのに、沖縄本島北部の奥という村の伝説があります。18世紀頃に成立した琉球王朝の記録「遺老説伝(いろうせつでん)」によれば、この村の山路で、貧しい老夫婦が餓死した。それを見た村人たちはあわれに思って、「即ち樹枝を折り、以て其死骸を覆ふ」とあります。

 行き倒れの不幸な人間のために、柴を折って死体を隠そうとする親切は、これも身隠しの一種だと考えられます。古事記の言葉を借りれば、青柴垣の流れでしょう。焼くのでもない、埋めるのでもない。地上に隠しておくことで、死者の魂がまた生き返る余地を残しておこうとする考えが垣間みられます。

 この問題を整理するために、私は新聞の投書の一つを用意してあります。それは朝日新聞(2002.10.30)「ひととき」に掲載された、広島市の牧鈴枝さんの「タヌキの葬送」という題の投書です。要約してみます。

 投書者の家の庭で一匹の狸が死んでいた。明日になったら山に埋めてやろうと思って眠った。夜中に犬がしきりにほえるので、外を見たら、4、5匹の小狸が家の廻りをうろついているのが見えた。

 翌朝庭を見たら、死んでいた夕べの狸が見当たらない。よく見ると、少し離れた木の下が盛り上がっている。おかしいと思って行ってみると、あの死んだ狸が引きずられていって、その上に枯葉などで隠されてあったというのです。

 たぶん、これは夕べの小狸たちの夜の作業だったのでしょう。死者の愼みは猫や狸の世界にもあるのでしょう。

 仏教では動物のことを畜生といって蔑みます。さて、その蔑まれた畜生たちに比べて、私たちはどれだけ賢い弔い方をしているのでしょうか。

 日本人は、死ねば火で焼かれ、壷に密閉されて、さらに大きな石を被せられて一生を終えます。これでは死者の夢も希望もありません。私はタヌキになりたい。

再生111号 2018年9月


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酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

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