海外の葬送事情

アメリカ

アメリカ葬送素描 中西部における葬送体験を中心に

                 河野さつき (米ノートル・ダム大学人類学部助教授)  

はじめに

 日本で、アメリカ人と聞いて、まず頭に浮かぶのは、金髪碧眼の映画女優でしょうか。それとも、プロゴルフで活躍する黒人選手でしょうか。アメリカは、広大で地域差もあり、貧富の差も激しく、かつ、さまざまな価値観をもつ民族グループが存在する多民族国家です。しかし、日本で数多く出版されている葬送に関する一般書籍では、アメリカの葬送習俗を論ずる際、カリフォルニア州の葬送習俗を代表事例的にとりあげることが多いようです。そこで、本稿では、アメリカ中西部における葬送について、日常の生活体験をまじえながら綴り、アメリカの葬送習俗の一端をご紹介したいと思います。渡米して十数年、ずっと大学中心の狭い世界で生活してきましたので、私の知る「アメリカ人」は大学関係者?すなわち、大多数は中流階級以上の白人ということになります。

死に対する態度

 アメリカでは、日本ではそれほど問題にならないようなことでも、プライバシーの侵害に当たることがあります。たとえば、子供がいるかどうか、いない場合に、子供が欲しくないかと聞くのは、プライバシーの侵害と考えられています。死についても同様、まず世間話のテーマにはなりません。今までの印象では、「私が死んだら」というような仮定や、自分の死をめぐる葬法などについては、親しい家族の間でも切り出しにくい、重い話題です。死について語るとき、アメリカ人は辺りをはばかるように少し眉間にしわをよせ、声を低めます。親しい同僚は、「アメリカ人は死について考えたがらないし、語りたがらない。皆、永遠に若くあり続けることに執着している」と言っていました。

死にかかわるときはいつか?

 普段は死に関する話題を避けるとしても、長い人生、死に触れなければならない時がきます。家族や、友人、知人の死に直面したときです。アメリカ人の平均寿命は、いわゆる先進諸国のなかでは低い方ですが、白人の平均寿命は高く、現役の同僚が亡くなるのは珍しいことです。職場で死にかかわるのは、教員の両親、また、引退された教授やその伴侶が亡くなる場合がほとんどです。私の勤務するノートル・ダム大学では、教員やその家族が亡くなると、学内者に電子メールで訃報が送られます。訃報には、故人の名前、所属の学部、家族の場合は学内者との関係、死亡日時、葬儀の日時などが記されています。

御香典もお返しも基本的には不要

 ここ数年の間に、同僚の近親者が数人亡くなりましたが、その度に、発起人が学部関係者に連絡をとり、生花を送るため、お花代を集めました。いくらにしたら良いかと悩むまでもなく、発起人が集める金額を決めていて、一人1500円程度でした。日本の御香典の習慣と違い、お返しの品も必要ありません。親しい同僚によれば、遺族に直接お金や小切手を送ると、身内がお葬式をだすお金がないという侮辱になり、失礼に当たるそうです。

 生花のほかに、カードを送ることもあります。クリスマスなどの行事や、誕生日など、祝い事の度にカードを送る習慣があるので、デザインも豊富です。書店やスーパーマーケットには、売り場の一列をカード売り場にしているところもあります。追悼用には、信心深い人のために、「神様」や「天国」などの文字が目立つ宗教的なカードもあれば、シンプルにお花を印刷しただけのものもあります。キリスト教徒が多いとはいえ、他宗教の信者もいますし、また、無神論者もいますから、需要に応じて供給しているわけです。

 昨年、同僚のお母様が亡くなった時には、学部あての訃報に、お母さまの社会運動家としての経歴と、お花は辞退するが、どうしてもという場合には慈善団体に寄付して下さいと連絡先がしるされていました。電話でクレジットカードの番号を伝えるか、小切手を郵送すれば、簡単に寄付ができます。

御香典やお返しがなければ、その分遺族の負担は多少軽くなりますが、お花やカードをいただいたら、後で御礼のカードや電子メールを送ります。人間は社会的動物ですから、文化によって形や程度は違えども、つきあいというのはあるものです。

お葬式をめぐる旅と遺体の保存について

 全米に親族が散らばっているような場合には、葬儀のため大移動が行われます。アメリカでは、出身大学で教鞭をとるということは稀ですし、子供が両親と同居すると言う習慣はありませんから、親が亡くなると、大抵は他州に住む親のもとにかけつけることになります。アメリカの西から東に飛行機で飛べば6時間位かかり、もっと近い場所でも、飛行機を乗り継ぐとすぐ半日はかかってしまいます。

 近親者が集まるまでに時間がかかっても大丈夫。葬儀社には冷蔵施設もあり、遺体を預かってくれます。また、法的に義務付けられているというわけではありませんが、遺体を消毒し、遺体の腐敗を遅らせるため、エンバーミングと呼ばれる遺体処理(遺体の体液をぬき,保存液を注入します)もかなり頻繁に行われています。葬儀社には、州法により許可を受けた専門の職人(エンバーマー)がいて、併設の遺体処理施設で作業を行います。エンバーマは、死化粧をほどこしたり、遺族のもってきた晴れ着をきせたりするほか、遺体の損傷を修復したり、長い闘病でのやつれを目立たなくするような美顔処置も行います。ピーター・メトカーフとリチャード・ハンティントンによれば(「死の儀礼」、1979年初版)、エンバーミングは、人々の移動が激しくなった19世紀初頭のアメリカで、死者の遺体(戦死者も含む)を遠く離れた家族のもとへ輸送するために始まったそうです。

 エンバーミングが完了すると、その出来映えを通夜に訪れる弔問者に見せることになります。親しい同僚は、「アメリカ人は人が亡くなると、手間暇かけて、とても衛生的で、眠っているかのような遺体をつくり出し、その側に集まって、『まるで眠っているようだ』と言いあうのだ」と語っていました。アメリカ人は衛生的な生活をしていることには誇りをもっていますから、遺体にも衛生的なこだわりがあるのでしょう。ただ、同僚の一人は、最近では必ずしもエンバーミングした遺体を見ながら通夜を行うとはかぎらず、様々なケースがあるそうです。美しく装った、清浄な死者と相対するというのは、アメリカの葬儀のすべてとまではいきませんが、かなり重要なテーマであると言えます。

土葬か、火葬か

 アメリカでは、亡くなった方の大半は土葬によって葬られます。葬儀社の陳列室には、さまざまな値段やデザインの棺が並んでいて、そのなかから棺を選ぶことになります。納棺後は、地中に埋葬する場合と、地上の収蔵施設(納棺堂)に収蔵する場合があります。

 火葬を推進している北米火葬協会の資料によれば、2000年のアメリカの火葬率は、26%ほどでした。世界各国の火葬状況を考えれば、決して低い数値ではありません。アメリカ西部、東北部では火葬がかなり盛んで、普及率は50%前後です。中西部、南部(フロリダを除く)では土葬が多く、火葬は稀です。ちなみに、私の勤務先のあるインディアナ州では、火葬は10%程度しか行われていません。日本文化に関する授業中、日本の火葬状況について話すと、学生が驚くのももっともです。州によっては、詳細な火葬法や、散灰に関する規定もあります。

 興味深いのは、火葬を選んだ人々の態度です。1999年に行われた調査(Wirthlin Report)によれば、火葬は、土葬に比べ、料金が安く、土地を無駄にしない、環境を考えた葬法と考えられています。また、土葬より、簡単で、便利な葬法であるという意見もあります。火葬は、土葬にくらべ、低料金で合理的な葬法と考えられていることがうかがわれ、従来の葬送に対する一種のアンチテーゼと言えそうです。

 火葬後の遺骨の行方ですが、すべて墓に安置されるわけではなく、様々なケースがあります。墓地におさめられる場合は、骨つぼのまま地中に埋葬されたり、地上の納骨堂に収蔵されたり、墓地内に設けられた場所に散灰されたりします。墓地以外の場所にたどり着く遺骨もあります。骨つぼにおさめられ、自宅に置かれたり、また、水上(海、湖など)や地上に散灰されたりします。焼骨を入れる骨つぼも、デザイン、素材ともに豊富です。最近、伴侶を亡くした知り合いによれば、故人の趣味などを思い起こさせるようなデザイン(たとえば、ゴルフボールをデザインしたものなど)の骨つぼを選ぶこともできるそうです。葬法から、焼骨の行方、棺や骨つぼのデザインまで、多様な選択肢の存在がアメリカの葬送習俗のひとつの特徴と言えるでしょう。

むすびにかえて

 このエッセイを作成する上で、一番印象に残ったのは、火葬を合理的で土地を無駄にしない葬法だと認識する人たちの存在です。恩師の一人は、私の自然葬に関する学会発表のあと、「アメリカでも、葬儀や埋葬にお金がかかりすぎるという不満があり、消費者の立場から葬送を簡略化していこうという団体もある」とおっしゃっていました。恩師はそのような団体に所属し、死後は火葬に決めていらっしゃるそうです。現代日本では珍しくもない火葬ですが、従来の葬送批判として行われることもあるという点を興味深く受止めました。

 最後に、安田会長、本部事務所の皆様には、日頃から私の自然葬に関する研究にご理解・ご協力を賜り、心より感謝申し上げます。また、貴会のご好意により、自然葬に関するアンケート調査を行わせていただきましたが、ご多忙中、多数の会員の皆様よりご回答を賜り、厚く御礼申し上げます。

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 かわの・さつき(河野さつき) 1966 年東京都に生まれる。
 米国ペンシルベニア州ピッツバーグ大学大学院人類学部博士課程卒業(文化人類学博士号取得)。ピッツバーグ大学非常勤講師、ハーバード大学世界宗教研究所客員研究員、イリノイ州モンマス大学客員助教授を歴任、2000年よりインディアナ州ノートル・ダム大学人類学部助教授。現在、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科の客員研究員として、変わりゆく日本の葬送習俗について調査研究中。


「再生」第50号(2003年9月)

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