海外の葬送事情

ドイツ

年間6,000件の海の自然葬


                            宮越リカ

 ドイツには「埋葬法」による厳しい規制があり、イギリスやオランダなど周辺の欧州諸国に比べて「葬送の自由」はかなり制限されています。しかし近年、個人の考え方を尊重した自由な葬送の形を求める声が高まり、大きな転換期を迎えているようです。

今はない通夜の習慣

 死者の自宅で通夜を営む習慣は昔のことで、今では行われません。昔からの共同体がまだ機能している農村部では、遺体を教会や墓地のチャペルに運び、隣人たちが着替えをさせ、棺に入れます。家族は埋葬までの3日間、ふたの開いた棺に安置された死者を訪ねて別れを惜しみます。

 都市部では通夜という習慣そのものが薄れているようです。家族が亡くなると、医師の死亡証明を受け、葬儀業者を手配して遺体を霊園や火葬場に搬送します。遺体は10℃以下に保たれた霊安室内で他の遺体とともに安置されます。着替えや化粧が済むと遺体は棺に入れられて葬儀会場に移され、葬儀業者や式場の係り、墓地専属の聖職者、あるいは故人が所属していた教会の聖職者によって葬儀が執り行われます。

火葬後の遺骨は粉末に

 火葬の場合は、葬儀が終わるとともに棺が置かれた床がゆっくりと沈み、棺は火葬炉のある階下に消えるという仕掛けになっているところが多いようです。ここで参列者は解散します。骨上げはしません。この後はすべて火葬場の係員の手で処理されます。火葬炉から取り出された遺骨は粉砕機にかけられて粉末状にされ、骨壺に納められます。後日、家族やごく親しかった人々が骨壺の埋葬に立ち会うこともあれば、あとは墓地任せということもあります。骨壺はお墓の土中に埋めるか、納骨堂のような建物に納めます。

 土葬の場合は、葬儀が終わると棺は式場から墓地へと運ばれます。墓穴に置かれた棺の前で弔辞が述べられ、聖職者の祈祷が終わると、参列者が順にひとすくいの土をかけていきます。新しいお墓の盛り上がった土に花輪が置かれて埋葬は終わり、一般の参列者はこれで退散しますが、遺族は親しい人々を近くのレストランに招いてコーヒーとお菓子や食事をふるまいます。

墓地は公営が主流

 古くからの教会墓地もありますが、特に都市部では自治体が運営する公営墓地を利用する人が多いようです。1877年に開設されたハンブルグのオールスドルフ霊園はヨーロッパ最大の規模を誇る公営霊園で、毎年約5,800名が埋葬されています。ドイツの公営墓地を代表するものとして、この霊園の利用規程などをご紹介しましょう。

 墓地には死者の安息を守るための一定の期間が定められています。自治体によって多少異なりますが、オールスドルフでは25年となっています。これは、遺体がおおかた分解してなくなるのに必要な年月に相当し、利用する人はこの期間の使用権を買うわけです。

 お墓には、選択墓地、列状墓地、芝生墓地があります。選択墓地というのは25年の安息期間を過ぎてからも、利用権をさらに5~25年間延長することができるお墓で、生前に好みの場所と大きさを選んで家族の墓、夫婦の墓などを設けることができます。1区画には、1つの棺と8個の骨壺を埋めることができるので、例えば2区画分の選択墓地の使用権を買えば、棺と骨壺あわせて18名分の埋葬ができることになります。

列状墓地と芝生墓地

 列状墓地は、大きさは1区画分のみで埋葬順に次々と隣に作られていくため、生前に好みの場所を決めることはできません。また25年を過ぎると使用権の更新もできません。お墓は掘り起こされ、まだ遺体や骨壺の一部が残っている場合は、それらをさらに30?ほど深く埋めなおしてから、次の利用者のために墓穴を整備します。選択墓地に比べて利用料は安くなります。

 選択墓地も列状墓地も墓碑を建てることができますが、墓地全体の景観を保つために、その素材、大きさ、色などについて細かい規則があります。また植栽をととのえて緑と花を絶やさずに手入れをする義務もあります。

 芝生墓地は、広大な芝生の広場に棺または骨壺を埋め、その上に小さな平たい石の墓標を置くものです。後の管理は芝刈りだけですが、これは墓地側が担当しますので、遺族は手入れをする必要がありません。中には、墓標をおかず、どこに故人が埋葬されたのか家族も知らない、という完全な匿名墓地もあります。

 以上は、都市部の公営墓地の一例です。田舎の教会の墓地では、古くからの家族墓地が利用されている割合が高いようですが、日本と同様に若い世代が村を離れているので、何代も続く家族墓地は減っていくものと考えられます。

火葬の普及と教会離れ

 19世紀の終わりまでは、教会が葬送における中心的な役割を担っていました。しかし、19世紀末になると、都市人口の増大からくる墓地用地の不足、地下水汚染など衛生面の問題、技術の進歩といった要因に、実用主義的な観点で死をとらえようとする動きが加わって、近代的な火葬の導入を求める人々が団体を組織して運動をはじめました。

 特にカトリック教会はこれに強く反発しましたが、1878年にゴータ(旧東独領)にドイツ初の近代的な火葬場が建設されたのを皮切りに、1910年には20カ所に火葬場ができていました。やがて公営の火葬場で安い費用で火葬が行われるようになると、埋葬費用も骨壺のほうが棺よりも安いことから、特に労働者階級に利用者が広がっていきます。

 都市部の人口が増加し、町から遠く離れた郊外に大規模な霊園が作られるようになると、棺桶を作っていた建具屋が遺体の搬送も請け負うようになり、それまでは教会や地域の共同体、同業組合などが担っていた葬送にかかわる事柄を葬儀業者として取り仕切るようになりました。ただでさえ教会離れが進む社会の風潮のなかで、特に都市部においては火葬が普及し、多くの人々が郊外の公営霊園に埋葬されるようになり、死者そして遺族の世話という役割すらも教会の手を離れていきました。

 火葬の普及率は全国平均で40%(1995年)ですが、大きな地域差が認められます。火葬が奨励された旧東独領内および都市部では火葬が普及している一方、カトリック信者が多い地域、田舎では土葬が好まれます。ドイツ初の火葬場が建設された旧東独内のゴータでは火葬の割合は90.6%、同じく旧東独のイエーナでは90.8%と極めて高い普及率であるのに対して、アウグスブルクは26.4%となっています(いずれも1995年)。

遺骨の自宅保管は禁止

 ドイツでは葬送に関する事柄は各州政府の管轄事項です。各州の埋葬法は、ナチス政権下の1934年に定められた埋葬法とその施行令を大筋で踏襲しており、これにより、遺灰は骨壺に保管し、また骨壺は墓地に埋葬してその所在を届け出る決まりになっています。同様に、遺体は必ず棺に納めて埋葬することが定められています。

 主に衛生上の理由、遺骨に対する一般市民の感情、刑法上の理由(証拠物件として必要になったときに所在があきらかでなければならない等)から、遺族が遺灰を一時的にでも手にすることは法律で禁止されています。骨壺を自宅に置いたり、個人で搬送することは違法行為です。どうしても遺骨を自宅に置きたいために、埋葬法がずっと緩やかなオランダで火葬して骨壺を受け取り、こっそりとドイツに持ち帰る抜け道を使う人もいます。

 散骨も不可、というのがこれまでの常識でした。唯一、旧東独のロストクの公営墓地では1985年から墓地内の特定の芝生区域に散骨することが認められており、1999年までに874名の散骨が行われています。

 このように墓地埋葬が原則ではありますが、故人の遺志がはっきりとしている場合に限って、遺骨を骨壺に入れて海に沈める海洋葬を認めている州もあります。船乗りなど海洋関係者ではない一般人の海洋葬が行われるようになったのは1970年代で、現在では年間に全体の0.6%にあたる約6000件の海洋葬が行われています。

 また、イスラム教徒に対しては、埋葬法の特例が認められています。イスラムの教義では、遺体は布にくるみ、イスラム教徒専用の墓地に埋葬することになっているので、遺体を納棺しなければならないドイツの法律とは相容れないのです。1960代以降出稼ぎ労働者としてドイツに来たトルコ人を主体とするイスラム教徒は、以前は遺体を母国に搬送して埋葬していましたが、二世、三世の時代になるとドイツでの埋葬を希望する人々も増えてきました。300万人を数えるまでになった国内のイスラム教徒の要請に応じて、ドイツの霊園の中にもイスラム式の葬送が可能なところがいくつもあります。

変革期にあるドイツの葬送

 「死」をタブー視して人々の目から遠ざけているのは、ドイツも他の近代社会とかわりありません。その中で、死亡してから埋葬までの一連の事柄が家族や隣人の手を離れて、業者による機械的な遺体の処理過程となってしまったことに違和感をおぼえる人も少なくないようです。最近では亡くなった人の傍らで最後のときを過ごして別れを惜しむ通夜の重要性が再認識され、そのような機会を提供する墓地や葬儀業者もでてきたということです。あまりにも事務的、機械的になってしまった葬送を再び遺族の手にもどして血の通ったものにしようという動きは、自らの最後に関する個人の意志をもっと尊重すべきだという動きとつながります。また、合理的な理由がないのに相変わらず墓地への埋葬を強制する埋葬法を疑問視する声もあがっています。

安らぎの森に埋葬も

 こうした市民の声を反映して、着実に変化がおこりつつあります。ノルトライン・ウェストファーレン州議会は、昨年6月に新しい埋葬法を可決しました。土葬の際に棺の使用が強制されることがなくなり、各墓地の判断にゆだねられます。イスラム教徒の葬送に対する柔軟な対応が可能になるわけです。また、墓地内の特定の場所への散骨、あるいは一定の条件が整えば墓地外の場所への散骨も認められるようになりました。

 ヘッセン州カッセル郡は、2001年11月に森林を墓地として使用することをドイツで初めて許可しました。メルヘン街道が通過する自然保護区域の国有林の中に指定されたこの「安らぎの森」は116haの広さがあり、「ドイツ安らぎの森」という団体が運営にあたります。ここに埋葬を望む人は、生前に好みの木を選定しておきます。遺灰は、土中で分解しやすい素材でできた骨壺に入れられてその木の根元に埋められ、幹には故人を特定する小さな札が取り付けられます。あとは森に任せます。スイスからドイツに伝わったこの森林葬に対する「森の民」ドイツ人の関心は高く、ヘッセン州内だけでもその後少なくとも1カ所でこのような森が認められ、2カ所が申請中とのことです。

結び

 葬送の文化というのはその社会の生死観を反映する、非常に興味深い研究分野であるということをあらためて認識しました。にわか勉強でまとめるにはあまりに奥深いテーマであることに途中から気づき、忸怩たる思いですが、皆様の参考になれば幸いです。 みやこしりか(宮越リカ) 東京生まれ。新聞社特派員の父の海外勤務に伴い、中学・高校時代をドイツ、オーストリアで過ごす。筑波大学農林学類生物応用化学卒業。ドイツ系化学品メーカー日本法人に勤務後、フリーの実務翻訳者。

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みやこし・りか(宮越リカ) 東京生まれ。
新聞社特派員の父の海外勤務に伴い、中学・高校時代をドイツ、オーストリアで過ごす。筑波大学農林学類生物応用化学卒業。ドイツ系化学品メーカー日本法人に勤務後、フリーの実務翻訳者。

「再生」第52号(2004年3月)

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