海外の葬送事情

ニュージーランド

独自の文化、習慣引き継ぐマオリ人
 元来、墓という概念は持たなかった


         ケル・理子(元ブリティッシュカウンシル職員・主婦=ロンドン在住)

 緑豊かで自然に恵まれた水のきれいな国ニュージーランド。1970年代後半までは約300万人だった人口は、多くの移民を受け入れた結果、現在では400万人にまで膨れ上がった。以前は原住民であるマオリ人が1割強とイギリス系のヨーロッパ人が主だったが、現在ではアフリカ、中東、アジア、南太平洋の国々からの人々もふえて、多民族国家となった。

森や風や太陽の神を信じたマオリ社会

 ニュージーランドの原住民は、ポリネシア系のマオリ人である。彼らは1000年以上前にニュージーランドにやって来た。言語はハワイ語などと語源を同じくするマオリ語で、彼らはこの島を「アオテアロア=白く長い雲のたなびく地」と呼んだ。1642年にオランダ人のエイベルタズマンが、ヨーロッパ人としては初めてニュージーランドを発見し、後に彼の出身地であるオランダのゼーランド州にちなんでニュージーランドという国名がつけられた。

 1869年にイギリス人ジェイムス・クックが再発見し、これを期にイギリスから多くの人々が移住し始め、イギリス文化の影響を大きく受けることになる。キリスト教伝道師も多く訪れるようになり、キリスト教が普及し始める。キリスト教やイギリス文化の影響によりマオリ人の価値観、宗教、習慣はかなり変わった。しかしながら、現在でもマオリ人は独自の文化や習慣をまだ大切に受け継いでいる。ニュージーランドには日本の神話に似た話しが多く残っていて、マオリ人は森や風や太陽など自然の神々を信じていたことが分かる。そして、葬儀のやり方や死生観も、まだヨーロッパのそれとはかなり異なるように思う。

 マオリ人が亡くなると遺体はまずマラエに運ばれる。マラエとはマオリの集会場で、とても神聖な所として考えられている。葬儀、結婚式を始め、部族の会議なども行われる。運ばれた遺体は、髪に羽が飾られ、マオリの衣装が着せられる。マオリ人は、遺体が埋められるまで故人を1人きりにしてはいけないと信じている。また、故人の魂はそこにいて、何が起こっているかすべて把握していると信じている。

マラエ
マオリ人の集会場「マラエ」
 葬儀では家族や友人は悲しみを隠さず、大きな声を出して泣く。これは家族の悲しみを和らげるためとか、故人に敬意を示すためとか考えられている。または、故人の魂がまだそこにあり、話を聞いていると信じているからかもしれない。マオリ人は死後の世界を信じていて、葬儀の後、遺体は祖先の眠る同じ墓地に埋められる(現在のマオリ人は土葬が主流である)と死後の世界へ旅立ち、そこで魂は祖先と再会し、また将来そこで子孫の魂とも再会できると考えている。

墓地も墓もなかったキリスト教伝来前

 キリスト教伝来以前のマオリには墓地とか墓という概念はなく、また、酋長など身分の高い人や貴族のみに葬儀が行われていた。葬儀のあと、遺体は洞穴の中に隠されるか埋められる。遺体が骨だけになる1年ほどそのままにされ、その後骨はきれいに洗われ、90センチほどの彫刻がほどこされた棺に入れられ、2回目の葬儀が行われる。葬儀の後、骨はまた秘密の場所に埋められるか隠される。マオリは敵がこの骨を発見して呪いをかけるのを恐れていたのである。前にも述べたがマオリには墓という概念はなかった。庶民の遺体は葬儀なしに処分されていたようだ。

増え始めてきた火葬率

 ニュージーランドでは以前は土葬が主流であったが、現在では料金やスペースの都合もありマオリ人を除くと火葬が増えてきている。ニュージーランドの2002年に登録された死亡者数は28065人で、人口1000人に対して7.1人である。火葬率は約4パーセントで、地域的な違いがあり、クライストチャーチなどの都市では火葬が土葬を上回りつつある。料金は火葬(大人)が約450ドル(約36000円)、散骨が40ドルから45ドル(約3200円から3600円)程度。散骨にかかる費用はとても手頃である。葬式をチャペルで行う場合はチャペルの料金、85ドルから150ドル(6800円から12000円)が追加される。

 式の進行については、最近では形式的なものではなく、自分たち流のやり方を選ぶ人が増えているようで、葬儀社に頼む場合でも家族の意向を尊重し、独自のプログラム作成を手伝ってくれる。

 散骨場所については、市によって規制がそれぞれ違うようだが、首都のウェリントンの場合、市が指定する公園や墓地内で行うことが可能である。クライストチャーチの場合、どこでも(常識の範囲内で)できる。また、クライストチャーチ市が指定するある場所では、10ドル(800円)支払えば、木を植えてくれる。

 ニュージーランドには大きな公園のような広々とした墓地がたくさんある。墓地内で散骨する場合は、家族の出席のもと行う場合と、出席しないで墓地の職員に依頼する方法がある。家族が特に歌やスピーチ、音楽演奏などを計画しない限り、散骨のみが行われる。

涙あり笑いありのユニークな葬儀

 ニュージーランドでは、人々が自分達のルーツにあたる、それぞれの習慣や文化を大切にする中で、しかしながら、その習慣にとらわれない自由な思想や考えを持った人が多いのも事実である。そんなニュージーランドならではの話をしてみたい。主人の父と家族のことである。

 主人の父は1999年に61歳で亡くなった。彼はスコットランド系のオーストラリア人で20歳のころニュージーランドにやってきた。彼の両親は敬虔なキリスト教徒で、彼自身もキリスト教系の学校に通ったクリンチャンだったようだが、私が主人と知り合った頃には義父はほとんど教会には行っていなかった。義父が亡くなった時私たちは日本に住んでいて、主人は父の死に目には会えなかった。弟から父が亡くなったとの電話を受け、主人はその日に、私は翌日ニュージーランドへ飛んだ。義父の残した遺書には葬儀のやり方や散骨を希望する旨などが書いてあっって、葬儀に関しては宗教色の一切ないもの、また土葬ではなく火葬にして、遺灰は家の庭に撒くことなどが書いてあった。

 義父の意向を尊重して、主人と弟たちは葬式のプログラムを5日ほどかけてすべて自分たちで作った。伯母が彼の子供の頃の話をしたり、彼を大変慕っていた親戚が、生前彼が好きだった歌を歌ったりするなど、涙あり笑いありのとてもユニークな心に残る式になった。式の後、火葬場に向かったが、日本に比べると設備も簡単で、もちろんお骨を拾うという作業もなく、全体的にあっさりとしていたように思う。

 義父は庭に遺灰を撒くことを希望していたが、主人と兄弟は父の残した家を売却することも考えていたので、庭への散骨はとりあえず保留とした。結果的にその保留は4年にもなってしまったが、その間、義父の遺骨は家の中に置きっぱなしであった。彼の好きだったブランデーがいつも近くに置いてあったとは言え、日本人の私から見ると信じられないことである。罰が当たるとか、成仏出来ないなど誰も言わない。主人も弟たちもあせっている様子は全くない。のんびりしたものである。そして義父の死から4年後、主人の兄弟が全員ニュージーランドにそろった際、家の近くの公園に散骨をすることに決めた。

 早朝、家族でそこに行き、歌を歌って楽しい雰囲気の中遺灰を撒いた。これが一般的なニュージーランドのやり方とは言えないが、自分達のやり方で葬儀や散骨を行う人が少なくないのもニュージーランドである。遺灰を4年も家のなかに置きっ放しにして 散骨も涙なしにあっさりしたと言っても、主人や弟たちは、よく義父の話をする。会えば、博識で心優しかった義父が残した数多くのエピソードを話し、特徴の多かった彼の真似をしては笑いその死を惜しんでいる。主人も弟たちもそれぞれのやり方で皆父を偲んでいるのである。

増えてきそう、多様性を尊重した散骨

 日本の30分の1の人口しかないニュージーランドだが、そこは異なる文化や習慣をもつ人々が住む多様性豊かな国である。考え方が違っても、その違いを尊重し、自由な思想や行動を認め合う。そんな中で、今後色々な形のそれぞれの散骨が増えていくような気がする。

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ケル・理子(ける・さとこ) 1964年埼玉県生まれ。
ニュージーランド・ヴィクトリア大学数学科卒。ブリティッシュカウンシルに8年間勤務。ニュージーランド外務貿易省に勤務するニュージーランド人の夫(前・駐日大使館一等書記官、現・駐英大使館一等書記官)の赴任に伴い、ソロモン諸島や日本に滞在後、2003年に帰国。今年7月からロンドン在住。

「再生」第68号(2009年9月)

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