トルコ
ほとんど土葬のイスラム教
細川直子
火葬は宗教的禁忌
2003年4月ごろ、フセイン政権崩壊後のイラクでは、フセイン政権時代に処刑されたり刑務所で謎の死を遂げた人々の遺族が、親族の確認のため、墓を掘り返す姿がテレビで何度も映し出されました。共同墓地といっても、目印に番号のついた棒が刺してあるだけの盛り土が何列にも並ぶ、墓石もなければ花も飾られていない粗末な墓で、泣きながらその墓を掘り返す人々の映像は私たちの胸を痛めたものです。
イスラム教の埋葬方法はほとんどが土葬なので、このように10年以上も前に埋葬された墓を掘り起こし遺骸を確認することができるのです。そもそも人は泥からつくられたものであり、死んだら生まれたままの姿で土に還す。これが死者に対するイスラムの考え方の基本です。火葬は宗教的禁忌とされ、ふつうは行われません。
イラクと国境を接するトルコ共和国もまた、国民の99%がイスラム教徒のれっきとしたイスラム国です。イスラム以前の中央アジアのトルコ系民族の信仰には火葬・撒灰の習慣があったそうです。遺灰は「神の山」と呼ばれる山に向かってまかれ、空に舞う遺灰は空の神とひとつになると考えられ、祝福を意味したというのです。広大な大地を移動しながら暮らす遊牧の民らしい雄大な発想だと思いますが、時代の流れとともに、トルコ民族はアラブ民族などとの交流の中で徐々にイスラム化していきました。今日、イスタンブールなど都市部での葬送はどのようになっているのでしょうか。
白い布1枚に包んで
お清めをせずに埋葬された遺体は天国へ行かれないとのイスラムの教えに基づいて、遺体はていねいに洗われた後、裸のまま白い布に包まれ木製の棺に納められます。この布はケフェンと呼ばれ、天然素材のもので染色が施されておらず縫い目があってはなりません。人為的なものは何も加えず生まれたままの姿で土に還すため、装飾品をつけたり、死化粧を施すこともありません。
年老いた婦人はよくへそくりをため込んでいて「これは私のケフェンの費用だから」と手をつけません。自分の葬儀費用は自分で貯めたお金で、というのは世界中の善良な市民に共通の思いかもしれませんが、「ケフェン代」という言い方はいかにもトルコ的です。また日常よく使われる諺に「ケフェンにポケットはない」というのがあります。
お金を貯め込んでもあの世には持って行かれないのだから生きている間に使わなければ意味がない、というたとえで、ケチな人に向かって批判的に用いられます。飾り気のないシンプルそのものの1枚布。死出の旅に愛好品を添える習慣のないトルコの人々は、ケフェンが人生の終焉の象徴だと考えているのでしょう。
農村部では、いつもエザーンが聞こえて来るモスクからサラと呼ばれる朗詠が流され、死者があったこと、葬儀の日時などが知らされますが、都市部ではその限りではありません。伝統的には、モスクの中庭で行われる葬儀に女たちは参列しないことになっていたそうですが、最近では女性の姿も見られます。数珠や腕章のようなものはとくになく、また黒い服を着るというようなしきたりもなく、ふだん着で参列しています。サングラスをかけている人が多いのは、泣きはらした目を見られたくないためでしょうか。著名な人の葬儀には大勢の参列者がモスクに詰めかけますが、親族や友人たちが紙に印刷された故人の顔写真を胸にピンで留めているのもよく見かけます。
霊柩車に盛大な拍手
殉教者や戦死者は、イスラムではまっすぐ天国へ召されると考えられており、名誉なこととされます。棺はふつうは、イスラムの聖なる色である緑色の布で覆われますが、殉教者や戦死者にはトルコの国旗がかけられます。棺は人々が肩で捧げ持ってモスクの中庭に運ばれ、通常のお祈りが済んだ後、葬儀が営まれます。
僧侶がコーランの1節を詠唱したあと、遺体に語りかけます。この世から旅だった先で、4つの質問が問いかけられる。神は誰か、信仰は何か、聖書は何か、預言者は誰か。この4つに答えられればよいモスレムとして迎え入れられ、最後の審判のときまで天国に近いところで安楽に過ごせるであろう、と。魂がまだここにいるうちに、この4つの質問の答を思い出させてあげるというわけです。
最後に、僧侶は葬儀に集まった人々に問いかけます。生前に不当な振る舞いがあったとしても水に流し、存命中に与えた金銭的あるいは精神的な「貸し」を冥途へのみやげに持たせてやることができるかと。借金を返済されていなかったり、さんざん面倒をみたそのお礼を受けていなかったとしても、それをチャラにしてあげられるか、という意味です。
参列者は許諾の旨を3回唱えます。こうして死者は現世に借りを残さず旅立つことができるのです。イスラムの教えでは、神に対しての罪は神によって赦されますが、人間同士のいさかいは神が赦すのではなく当事者が赦さなければならないからだそうです。
こうして僧侶の案内によって死出の旅の準備が整い、いよいよ出棺となります。イスラムの聖なる色である緑色の霊柩車に乗せられて墓地へ運ばれるのですが、このとき、著名人や殉教者はよく盛大な拍手で見送られます。葬儀に拍手、一見不似合いなようですが、生前の苦労をねぎらい功績を称えるこの拍手は、死者への感謝の気持ちと惜別の情があふれて胸を熱くします。霊柩車が見えなくなるまで鳴り止まないこともあります。
葬儀業者のない国
墓地に着いたら、ケフェンに包まれた遺体は、棺から出して右肩を下にし、頭をメッカの方向へ向けて埋葬されます。遺体の腐乱が速かったであろうイスラム教の生まれた時代の環境・風土の名残でしょうか、なるべく早く埋葬するのがよいとされるので、埋葬許可など事務手続きが整い次第、葬儀・埋葬と慌ただしく進行します。近年は海外在住の子供を呼び戻したり著名人で告別式が盛大に営まれるなど埋葬を遅らせるケースもありますが、農村部や敬虔な人々の間では、死者を早く安らかにしてあげるべきだとの思いが強いということです。
こうして慌ただしく埋葬を済ませた後は、親戚や近所の人たちが家にお悔やみに訪れます。地域によっては公民館のような場所で行われることもあります。参列者には食事やお菓子が振る舞われます。
これら一連の流れを代行してくれる葬儀業者というものはトルコにはありません。近所にモスクは必ずあるし、親戚や近所の人が集まり助け合って、死者の魂を弔い遺された家族の悲しみを分かち合います。身寄りのない人が亡くなった場合は、市が埋葬までの儀式を代行します。それは、身寄りがなくともイスラム教徒としてこの世から送り出してあげるためだそうです。
初七日はピラフで供養
死者の供養は、7日目、40日目、52日目に行われます。イスラムでは52日目から遺体が土の中で腐り始めると考えられています。コーランの一部分、またはメヴリュットと呼ばれる鎮魂詩が自宅または墓前で詠まれ、参列者には食事が振る舞われます。
知人の母親の初七日の供養に同席させてもらったことがあります。親戚や近所の人たちが家に続々と集まり、6畳ほどの部屋3つに分かれて思い思いに座って待ちます。コーランを持参してきている人もあり、抜粋版も十数冊用意されていました。60人くらい集まったところで、その日の進行役の女性がお祈りの言葉に続いてコーランを詠み始めました。数人で交代しながらコーランの章が次々に歌うような抑揚をつけて詠まれていきます。
1時間半ほどコーランの章を詠みつぎ、最後に祈りの言葉をアラビア語とトルコ語で唱えて終わりました。進行役の人は、モスクから派遣されてくるとか儀式の執行を職業的に行っている人ではなく、近所の人でコーランの勉強をし詠唱できる人だそうです。終わると人々にチキン入りピラフとヨーグルトドリンクとデザートが配られました。お皿やフォークは近所から借りてきて、家族の人たちは朝から80人分のピラフを炊いたそうです。
遺族にとっては悲しみに暮れる暇もないわけですが、それが悲しみを和らげる昔からの知恵なのかもしれません。地域によって習慣が異なりますが、この家では男女が別々に供養をするとのことで、夜には男たちが集まりまた同じことが行われるということでした。
死者が安らかに眠れないから頻繁な墓参は慎んだほうがよい、と考える人もあるそうで、それ以降はとくに決まった供養はありませんが、命日とバイラム(イスラム教の2大祝祭日)である「シェケール・バイラム」(断食明けの祭り)と「クルバン・バイラム」(生け贄の祭り)の前日に墓参をする習慣があります。墓前ではやはりメヴリュットが詠まれたりコーランの1節が唱えられます。
墓地は自治体が管理
墓地は市の墓苑課が管理しています。元来は町はずれに墓地がつくられたのですが(法律にも「墓地は郊外に造ること」との記載があります)、今日のイスタンブールのように都市が肥大化してくると、墓地が町なかに取り残され、墓地を取り巻くように道路が敷かれマンションが建ち並んでいく現象が見られます。
家族の誰かが亡くなって埋葬しなければならなくなった場合、市に申し出ると、家の近くであいている墓地をいくつか紹介してくれます。その中から選び、埋葬料を支払ってそこへ埋葬するのです。埋葬場所の不動産権利取得申請をすれば、そこはその家族のものとなり、そこへ家族や親戚の別の誰かを埋葬することが可能です。
墓の購入費は毎年市議会で決定されます。墓地の所在地によってもさまざまですが、2003年現在で、日本円に換算すると安いところで約5万円、高いところで25万円程度だそうです。そのような不動産手続きをとらない場合は、5年たった後は同じ場所に他人が埋葬されることになります。いずれの場合も年間使用料や維持・管理費のようなものを支払う必要はありません。これとは別に市に支払う埋葬料金は、土に埋葬するだけの場合が約3,000円、大理石などの墓石で上を覆う場合は1万2,000円程度だそうです。
ひところ芸能人などのあいだで、生前に自分の墓地を購入するのがはやった時期がありましたが、今は生前の墓地購入はできないことになっているそうです。大家族だからと何人分もまとめて購入しておくこともできません。ただ、配偶者を亡くして墓を購入することになった人が、自分も配偶者の横に埋葬されたいと願う場合は、市の墓苑課はこの要望に応えて隣り合った2人分の墓の購入を認めているそうです。厳密に言えば規則からは逸脱するようですが、家族や夫婦の絆を重んじるトルコらしいところだと思います。
墓不足の心配がないトルコ
イスタンブールの人たちは、自分が死んだときに墓がなかったらどうしようという心配はしなくてもよさそうです。現在計画中の墓苑も含めて、今後15年は埋葬場所がなくなる心配はない、と市の担当者は胸を張ります。それは、故郷の土に眠りたいと希望して遺体が故郷まで運ばれるケースが多いのと、すでに家族の墓を取得していて埋葬場所を新たに探さなくてもよいケースが多いためです。
もうひとつには、5年たった後に、同じ埋葬場所の上に別の死者を埋葬してもよいことになっているからでしょう。5年という歳月は、遺体が完全に土に還されるのに十分な時間であるとともに、彼岸に旅立って久しい人への思慕や悲しみに区切りをつける節目にもなっているのかもしれません。
生きている間の暮らしはどんどん近代化し欧米化しており、必ずしも厳格にイスラムの教えに従っているとは言えないトルコですが、葬儀の作法や習慣などは今もイスラムにしっかり根づいており、人生の終わりは敬虔なモスレムとして見送られます。もちろん少数ながらキリスト教徒、アルメニア正教徒、ギリシャ正教徒、ユダヤ教徒などもおり、彼らは彼らの伝統・習慣に従っているのは言うまでもありません。信仰は異なっても死者を弔う思いの深さは同じでしょう。
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ほそかわ・なおこ(細川直子) 神奈川県生まれ。
お茶の水女子大学文教育学部音楽科卒業。高校教諭を経て、1988年から94年まで旅行会社の駐在員としてイスタンブールに在住。95年以降はフリーで日本とトルコを行き来しつつトルコ語通訳、ライター、テレビ・雑誌の取材コーディネーターとして活動する。著書に「ふだん着のイスタンブール案内」「トルコ 旅と暮らしと音楽と」(晶文社)、「トルコの幸せな食卓」(洋泉社)がある。
「再生」第51号(2003年12月)