海外の葬送事情

ネパール

墓持たないヒマラヤ山麓の人々
 葬儀講に集い、命を分かち合う


                    中川加奈子(在ネパール日本大使館専門調査員)

 「ネワール族は宴会で破産する」という諺がある。大げさな例えなのかと思っていたが、実際ネワール族は、頻繁に宴会を開いては人々と飲み食いを共にする。中でも、「シ・グティ」と呼ばれる葬儀講を同じくする人々同士はよく集まる。機会としては、赤ちゃんの食い初め、成人儀式、結婚式、おじいさん・おばあさんの喜寿祝い、そして葬式等。その度に、それぞれの家や広場に数十名から数百名が集まり、1年の、そして人生の節目を共有する。

著者

 最近は、カトマンズでもオフィスワークに従事する人が増えてきて、時間的な制約からこうした宴会を簡略化しようという人も増えてきている。しかしながら、それでも宴会への招待状が届いたら、「またお金がかかるなぁ」とつぶやきながら、皆いそいそと出かけていく。私は以前から、なぜネワール族はお金も時間もかけてこんなに頻繁に集うのだろうと不思議に思っていた。カトマンズに住んで1年経った頃、その1つの理由として、墓を持たないネワール族にとって、共に集まって顔を突き合わせて話すこと自体が、今生きていること、そして死者を供養することの拠り所となっているのではないかと思うようになった。

 本稿では、文化の交差点・首都カトマンズの盆地に暮らしてきた民族、ネワール族の葬式及び「シ・グティ」の活動を検討することで、墓を持たない人々の葬送のあり方について考察をしてみたい。

■川沿いに火葬場、遺灰流す横で洗濯

 ネパールの首都カトマンズは、古くから、チベットとインドの交易の中継地として栄えていた。結果として、カトマンズ盆地はヒンドゥー教とチベット系の仏教文化の交差点となり、独自の宗教文化を育んだ。カトマンズの寺院では、ヒンドゥー教の神様と仏教の神様が同じように祭られている。ネワール族は、こうした文化宗教的背景のもと、内部に独自のカースト制度を有しており、カーストごとに慣習が少しずつ異なる。しかしながら、葬式はほとんどのカーストが総じて、火葬して遺灰を川に流すという方法をとっている。

 カトマンズ盆地は、バグマティ川、ビシュヌマティ川などヒマラヤの山麗をその源泉とする川が流れている。これらの川は、やがてインドのガンジス川と合流する。人々は、死者の幸せな輪廻転生を祈り、川沿いに作られたお寺の「ガート」(火葬場)にて遺灰を川に流す。「ガート」は特段囲い込まれているということはなく、通行人の目にさらされている。遺灰を川に流しているそのすぐ側で、人々が洗濯したり、魚を捕まえたり泳いだりしている。生と死は分断されているものではなく連続したものであり、隣り合わせなのだということを、改めて考えされられる光景である。

■葬儀に細部まで種々の取り決め

 ネワール族の葬式には実に多くの取り決めがある。葬儀業はなく、人々は多くの取り決めを守りつつ、「シ・グティ」でこれを運営しなければいけない。この葬儀講は、主に同カースト・同じコミュニティに住む人で構成されている。講ごとに人数は異なるが、多くの場合30から40世帯、200から400名ぐらいが登録されている(ちなみに、ネワール語でも死のことを「シ」と言う)。また、葬式に関する取り決めはカーストごとに異なっており、さらに、同じカーストでも地域が違うと微妙に異なる。今回、葬式についてネワール族の人の数名に同時にインタビューをしたときも、「この部分はこうすると聞いている」「いや自分が参加したときは違った」など議論が巻き起こってしまい、どの事例を紹介すればいいのか混乱してしまった経緯がある。実際はもっと細部にまで取り決めがあるが、ケース・バイ・ケースで異なるので、今回は大まかな流れにつき紹介したい。

 人が亡くなったら、できる限りその日のうちに火葬しなければならない。「シ・グティ」のメンバーは、?死者の親族や近所、友人らに葬儀の通達をする人、?葬儀自体の手伝いをする人の二手に分かれる。火葬場は、町はずれの川辺にあり、遺体を火葬場まで運ぶ際、葬儀行列がなされる。葬儀行列の先頭には、屠畜・肉売り業カースト出身の人々による太鼓、被服業カースト出身の人々による笛の演奏が来る。続いて、講のメンバー4名によって担がれた死者の棺が来る。ちなみに、この4名は既に両親を亡くした人である必要があるのだという。その後、遺族、そして講のメンバー、友人らが続く。30名ぐらいから多いときは100名前後が葬儀行列に参列する。太鼓と笛は、葬儀行列が通ることを通り沿いの民家に周知しており、この音が聞こえると周辺民家の住人は一斉に窓を閉める。死の穢れが家の中に入ってくるのを避けるためだという。

 川辺の火葬場につくと、遺族は死者の口元に水を注ぎ込み、死者に最後の水を飲ませる。その後、3回、遺体の周りを回り、死者が女性の場合は次男が、男性の場合は長男が遺体に火をつける(このため、ネワール族には男の子を2人以上もうけることを望む人が多い)。女性の遺族は声を上げて泣く。数時間かけて燃え尽きた遺灰を遺族は川に流す。この過程が終わるまで、葬式の参列者は食べ物を口にしてはいけない。遺灰を流した後、参列者はチウラと呼ばれるご飯を押しつぶして乾かした物と、ショウガを食べて身を清める。また、葬式中は各参列者の家には鍵がかけてあり、鍵は家の外の人に渡しておく。葬式後、その鍵を受け取ってそれぞれの家に帰宅する。

■町を行く帽子から靴まで真っ白の人

 遺族は死者が出た後14日間、喪に服する。多くの場合、遺族は7日間、入浴、爪きり、髭剃り、散髪、洗濯、革製品を身に着けること、鏡を見ることは許されない。食事にも制限があり、7日間は肉、塩、ウコン、ニンニクを食べてはいけない。14日後、喪が明け、遺族は職場や学校などに復帰し、日常生活を再開する。このとき、男性の遺族は、ヒンドゥー教徒は後ろ髪を少し残して髪を剃り、仏教徒はすべての髪を剃って丸坊主になる。

 その後、1年間にわたって、遺族は寺院参拝、祝い事への参加を控えなければいけない。また、死者の長男と、妻(死者が男性の場合)は1年間白い服を着なければいけない。近年、西洋風の生活スタイルが浸透してきたカトマンズであるが、このしきたりを守っている人は多く、帽子、服、靴下、靴まで全身真っ白で統一している人を今でもよく見かける。

 遺族は死者がでてから1年間の間、年間行事において様々な役割を遂行する。例えば、生き神「クマリ」の巡行で有名な祭り「インドラジャトラ」においては、巡行の前夜、遺族は巡行路に明かりを点す。また、地域によっては、近所の人に遺族はごちそうを振舞うしきたりがある。父の日、母の日には、遺族はそれぞれの父の象徴、母の象徴を祀る聖地におまいりをする。8月の満月の翌日に実施される「ガイジャトラ」(牛祭り)は、一番大規模である。1年間に親族が亡くなった家が死者の霊を弔うために行われる。遺族は牛を引き連れて仮装し、太鼓と笛の演奏に先導されて町を巡礼する。牛を工面できなかった家は、男の子に牛の仮装をさせる。

 ある家族のガイジャトラを見学させていただいた。まず、太鼓と笛の演奏をする人が家を訪問した。演奏隊はお酒と食事を振舞われた後、カトマンズの旧市街地を時計周りに1周した。その際、遺族はポップコーンのようなものと御菓子を見物人に配る。また、寺院の前を通るときは必ず立ちより神様への供養をしていた。1周回った後、近所の広場で家の人が再び食事を振舞っていた。

 また、一周忌、及び二周忌には、講のメンバーを招いて大規模な宴会を実施する。1周忌は盛大であり、町長経験者やかつて国から表彰を受けた人など死者が有名人の場合は、お知らせが現地新聞に載ることもある。多いときには、数百人が参加することもあるが、このときの飲食費は遺族が負担する。費用は数万ルピーから10万ルピー(2007年10月現在、1ルピー=約1.9円)であり、1人当たり年間GDPが約300ドルという当地経済事情を考えれば、膨大な出費である。

■広がるカーストの枠を超えた葬儀講

 グローバル化の波がネパールに押し寄せており、人々の暮らし振りも変化しつつある。カトマンズでも、農業や自営業中心の暮らしからオフィスワークへ少しずつ変わってきている。これに呼応して、年間行事や一周忌を省略したり、簡素なものにしたりする人も増えてきた。

 とはいえ、葬送に関する慣習には、根強く残るものがある。その1つとして、異カーストに対する(多くの場合高カーストから低カーストのものに対する)穢れの観念である。

祭り
牛祭りで牛の扮装をした男の子

 具体的な例を挙げよう。最近は自由恋愛になり、異カースト間、異民族の結婚も増えてきた。あるネワール族の男性が、異カースト(この事例の場合では、女性のカーストの方が低位であった)の女性と結婚し、2人の間に子どもが生まれた。妻と子どもは、夫の「シ・グティ」に入っていた。母子が事故で亡くなったが、この葬儀講ではこれまで異カースト民の葬式を挙げたことがなかった。メンバーは母子の遺体を怖がって誰も遺体に触れようとしなかった。結局、その母子の家族だけで急遽新しい講を作り、遺体を川に運び火葬して弔ったという。現在、異カーストの間の穢れの観念に伴う差別は徐々になくなってきているが、葬式に関しては未だ根強く残っているようだ。

 一方で、現在、異カーストを内包した講も増えつつある。近年、ネワール族の中には、外に出稼ぎに出る人、移住する人も多い。しかしながら、多くの場合移住先には講がない。そこでどうするのかといえば、移住先に同じカーストの人がいない場合は、カーストを超えて新しい葬儀講が形成される。現在、カトマンズ外ではこうした講が増えてきている。こうした葬儀講では、取り決めの違いのぶつかり合いを避けるために、葬式や死者供養の儀礼を簡略化した形で行うことが多い。

 カトマンズでは地価が急騰、不動産ブームが続いている。この状況は、葬儀講の財源となっていた土地の維持を困難にさらしている。葬儀講は多くの場合、土地を有しており、その土地で講の神様に奉納するための米を栽培したり、栽培した米を売って活動資金にしたりしていた。しかしながら、多くの場合、葬儀講の土地は所有状況が登記簿に明記されていないものも多く、登記の際、政府の土地として登録されてしまうことも多い。中には、土地改革の機に乗じて私有地にしてしまう人もいるのだという。これを転売して、巨額の富を得た人も多い。売買取引の対象となった結果、多くの「シ・グティ」の土地が売りさばかれてしまった。経済基盤を失い、解散したり、他の講と統合したりするケースも散見されるようになってきた。

 葬儀講は現在、暮らしぶりの変化、社会状況の変化に直面している。これはかつて日本が経験した変化に類似しているようだ。日本でも、以前は遺族や地域社会が、独自の取り決めをもって葬式を実施していた。しかし、近代化の中で葬式の簡略化が進み、徐々に地域社会の手を離れ、葬儀業者がその多くの部分を担当するようになった。今はネパールには葬儀業はないが、今後、葬儀業者が講に取って代わるということが起きるかもしれない。しかしながら、講はただ単に実務的な葬儀講として機能しているだけではなくメンバーの精神的支柱としての意味も有しており、私はそう簡単には消滅しないのではないかと考えている。最後に、その点について指摘してみたい。

■神を共有している講の仲間たち

 葬儀講には、それぞれ「アゴン」と呼ばれる神様が祀られている。普段お堂の中に入っていて、人の目に触れないようになっているが、年に1度、講の総会のときにメンバーの前に公開される。ちなみに、この総会は、1年間の死者及び出生や結婚で新たにメンバーに入ったものについての動向、収支決算(講の参加費は多くの場合、1人当たり年100ルピーを払うことが多い)報告の場ともなっている。総会の後で、講のメンバー全員による宴会が開かれ、このとき「アゴン」への供養も実施される。「アゴン」は、講のメンバー以外見てはいけないことになっている。私も、カトマンズに住んで通算2年が経過したが、これまで見せてもらったことはない。なぜ講の人以外に見せてはいけないのか聞いてみたところ、とても興味深い回答を得た。

 「生きている人は自分に心臓があるのがわかる。ドンドンと鼓動しているだろう。アゴンはそれと同じ。『シ・グティ』のメンバーは、生きている1つの体の中にある個々の細胞と同じ。アゴンは自分自身の心臓だから見るというよりは確認するのに近い。でも、他人はその人の心臓があるのを分からない。だからといって、心臓だけを切って取り出して見せるわけにはいかないし。そういうことだ。」

 自分自身の体の1部としての神様。そして、その神様を共有している人たちが講の仲間。回答者にとって、メンバーはまさに命を分かち合った「自分自身の1部」だったのである。今でも、ほとんどの講において、「アゴン」の公開は禁止されており、その理由を問うと同様の答えを得ることが多い。ネワールの人々は毎年葬儀講の総会を開いて、自分の生を支える仲間、そしてその求心的存在としての「アゴン」を互いに再確認し合っている。

■墓はなくとも語り継ぐ死者の思い出

 火葬場には毎日遺体が運ばれてくる。遺体は、葬儀講のメンバーにより、運搬され、燃やされ、灰になり、川に流される。人生の節目を分かち合ってきた仲間、また命を分かち合った「自分自身の1部」であるメンバーに見送られる死。目に見えるお墓はないけれども、死者の思い出はメンバーが頻繁に集まっては語り続けられる。送られる死者にとっては、とても心強い旅立ちになるのではないかと思う。 中川加奈子(なかがわ・かなこ)  2007年より、在ネパール日本大使館で専門調査員。ネパールの民主化、近代化と旧体制の再編成のあり方に関するフィールド調査を行っている。低カーストに位置づけられてきた人々が、経済活動を通じて新たな社会関係を構築していく過程に関心を持つ。関西学院大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得満期退学。

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なかがわ・かなこ(中川加奈子)
   2007年より、在ネパール日本大使館で専門調査員。ネパールの民主化、近代化と旧体制の再編成のあり方に関するフィールド調査を行っている。低カーストに位置づけられてきた人々が、経済活動を通じて新たな社会関係を構築していく過程に関心を持つ。関西学院大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得満期退学。

「再生」第67号(2007年12月)

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