海外の葬送事情

チェコ

欧州の火葬先進国

                       パブラ・バニョバ(訳・構成:小野 宏)

はじめに

 私(小野 宏)とチェコとのつながりはもう40有余年となります。1960年代前半に商社マンとして当時ほとんど未開拓だったチェコに単身飛び込み、強力だった西欧列強との激しい商戦に参入し、数年間滞在して実績を築きました。それ以来のチェコびいきです。
 当時チェコはソ連共産党が実質支配する一党独裁国家であり、秘密警察が跋扈し、人々は薄汚れた暗い陰鬱な街を無気力にうつむいて、とぼとぼと歩いていました。
 1989年の「ビロード革命」で民主国家となり、今日のチェコとくに首都プラハはいまや欧州きっての観光地となり、「黄金の街」「百塔の街」などといわれたボヘミア王国の首都時代の華やかさを取り戻しています。
 60年代にビジネスを通じて胸襟を開き合ったチェコの数名の人たちを、「ビロード革命」の直後に昔の手帳を繰って消息を追い、30年ぶりに再会を果しました。
 今回、チェコ葬送事情について報告してくれたのは、その一人で現在チェコ第2の都市ブルノに住むバニョバ夫人です。60年代にブルノの工場に数週間滞在しましたが、その際に工場側の英語通訳として知り合ったのです。現在は英語、ドイツ語の公式同時通訳としてチェコをはじめ欧州各国で大活躍をしています。
 2002年秋のブルノ国際見本市で「葬送事情」に関わるセミナーが開かれ、バニョバ夫人は同時通訳を担当しました。バニョバ夫人はこのセミナーを主催したプラハ葬送協会からの専門情報を加えて、以下のような「チェコ葬送素描」を報告してくれました。        (小野 宏)

 

80%近い火葬率

 カトリック教会が火葬を認めたのは1960年代の初めですが、チェコでは1919年以来、火葬が認められています。チェコでの火葬率は現在70%ぐらいとなっていますが、欧米各地と同様に年々ふえており、80%台に入るのも時間の問題でしょう。

 チェコでは15世紀初頭にヤン・フス(当時カレル大学総長)を中心にローマ・カトリック政権に反対する宗教革命・社会改革運動が起こり、ヤン・フスは異端者として火刑に処せられましたが、フスの信奉者たちが立ち上がり、カトリック教会と激しく戦った歴史があります。

 フスの没後500年の1915年に現在のプラハ旧市街広場にフスの像が造られ、フスの周りにはフス派の戦士たちやチェコ国家再来の意味をこめた母の像もあり、プラハの観光名所になっています。欧州他国に先んじて1919年以来、カトリック教会の禁止していた火葬が正式に認められたのは、チェコの代表的英雄とされるヤン・フスの影響によるともいえましょう。

 「火葬による埋葬を推進する友の会」が火葬認可の当時から設立されています。カトリック教会主導による伝統的葬儀に伴う重い金銭的負担から、「友の会」に所属する遺族たちを救いたいという目的があったのです。

 土葬による埋葬は伝統的葬儀として今も国民の大半を占めるカトリック信者を中心に各地で行われていますが、都市部よりも地方に多いといえます。地方の人たちは都市住民より一般的に保守的といえますが、火葬葬儀の場合、火葬場に車が並んで走ることとなり、地方の閑静なたたずまいを損なうとして好まれない事情もあります。

 1989年の民主化後、人々の活動は活発となり、とくに大都市への流入がふえ、地方の人口比率は低下しています。こうした傾向が火葬比率の増加にも結びついているようです。火葬場は現在チェコに27ヶ所あります。チェコはスロヴァキアを1993年に分離し、国土の小さい国となったこともあり、27ヶ所で十分とされています。

 一般的にいって火葬が土葬より費用が安くつくとされているのは、チェコの事情にもよっています。国土の広いカナダなどでは、ところによっては火葬場がたいへん遠いところにあり、葬儀場とか墓地から離れているため、火葬が伝統的土葬よりもかえって高くつく事実のあることなどもセミナーで報告されていました。

葬儀費用は1ヶ月の平均賃金

 葬儀にかかわるすべての段取りは葬儀社が執り行っています。チェコには葬儀法があり、 葬儀社はこの規定に従って遺族の意向などを取り入れて葬儀の段取りをします。葬儀の多くは、各地にある葬儀社の葬儀ホール、墓地あるいは火葬場にある付属礼拝堂などで行われます。葬儀には遺族、親戚、知人などが集まります。伝統的葬儀では牧師が司式を行いますが、牧師を呼んでの葬儀は30%程度にとどまっています。

 葬儀費用は土葬、火葬のいずれも含めて平均2万チェココルナといわれています。日本円で6万円相当です。チェコは社会主義政権の名残もあり、生活に直結するものの、物価は他の欧州諸国に比べると、まだ低めに抑えられています。しかし、平均賃金は月6万円強であり、葬儀費用の負担はやはり重いといえます。

 葬儀社は葬儀にかかわるすべての業務サービスについて、項目ごとに費用を示したガイドリストを用意していて、遺族は予算に応じて必要項目を選びます。主な費用は死者の衣装、納棺、花、棺、葬儀ですが、それぞれに多様な選択ができます。

 火葬の場合、棺は不要で骨壷に遺骨を納めて霊園墓地に埋葬するか、あるいはコロンバリウム(集合納骨堂)に納めますが、骨壷にも各種あり、葬儀社のガイドリストから遺族が選択します。

 葬儀費用は段取りした葬儀社に一括して支払われるのが慣例です。葬儀に伴う移動(霊棺の運送、遺族や会葬者らの移動車両など)も葬儀社が手配するので、これらの費用も葬儀社への支払いに含まれます。

墓地はリースだけ

 チェコでは埋葬地を家族が自己所有することはありません。埋葬地(墓地)はチェコ葬儀法により霊園管理者からリースされます。遺族は墓石(墓碑)のみを所有します。墓石は葬儀社が予算に応じて手配します。

 墓地の管理は、遺族が管理費を支払って霊園管理者が行います。管理費は霊園所在地の地域および霊園内の墓地の場所によりさまざまな幅があります。リースされている墓地に故人の遺族が死亡したときに納骨はできますが、家族墓地として霊園管理者とリース条件などを取り決めなければなりません。

 エンバーミング(遺体の保存処置)をすることはチェコではきわめて稀です。ほとんど実施されていないといっていいでしょう。葬儀社もエンバーミング業務の手配を行っていません。 

「葬儀なしの火葬のみ」が費用最小

 セミナーでカナダ事情が報告された折に、北米ではここ数年、従来の伝統的葬儀社業務へ新規参入する業者が著しくふえているとのことでした。霊園(墓地)経営・管理者、火葬場経営者、霊棺小売業界、地下納骨所管理者、宗教団体などで、それぞれが葬儀の部分部分を担っていた関連業界ですが、いまや部分部分にとどまらず、葬儀サービス一式を全面的に提供するといって盛んに事業拡大を図っています。

 しかし、これらの業者は伝統的葬儀社に適用されている州の法的規制の対象外にあり、州の葬儀法を遵守していない例も見られています。規定されている遺族への必要情報を公開せず、また火葬には高価な霊棺など必要ないにもかかわらず、そうしたものを遺族に売り込んでいるという苦情も聞かれます。葬儀法の規定に基づいた事業を行うことを義務づけられている伝統的葬儀社は、その対応に頭を痛めているとの報告でした。

 また、北米では葬儀費用を低く抑えるため、直接処理とか運送サービスと称される「限定した業務」だけを提供するサービスメニューも葬儀社は用意しており、こうした業務に特化した業者も出てきているとのことでした。

 チェコの葬儀社はこのような特定業務のみの提供を行っておらず、また特定業務に専門化した業者もまだなく、北米に見られるような葬儀業者への関連業界からの新規参入はまだありません。チェコでは費用を最小に抑える形式は「葬儀なしの火葬のみ」で、葬儀社は遺族からのこうした要望にも応えています。

スキャタリング・メドウ

 北米の大手葬儀社は、死亡から葬儀、そして一周忌の追悼式までの一切の関連業務・行事のプログラムを提供していますが、チェコの葬儀社は葬儀以降の追悼記念関連業務までは行っていません。信仰の篤い遺族は独自に教会などで追悼記念会を催しています。

 散骨(遺灰散布)は葬儀法に規定されている霊園墓地あるいは特定の私有地で認められています。大規模霊園墓地などの中にいわゆる「スキャタリング・メドウ」と呼ばれる牧草地などがあり、ここに散骨されます。墓地などでの散骨の実行主体者は霊園墓地管理者で、遺族は管理者に散骨を依頼して立ち会うかたちになります。

 遺族が他の場所での散骨を望むときは、該当地域を所管する衛生事務所の許可を得なければなりません。理想的な散骨は元駐日大使だったライシャワー博士の例に見られた「空から海へ」といえますが、内陸のチェコでは海への散骨は考慮外になります。空中散布も認められていません。 

おわりに

 バニョバ夫人とその夫は「散骨には思い入れがある」と言っています。バニョバ夫人の父親は、今も夫妻が毎年の休暇に利用する郊外の森林にある山小屋をこよなく好んでいたので、「この森林に散骨してほしい」と常々希望をもらしていました。

 また夫の父親も、生まれ故郷の小さい町を流れていた川に散骨してほしいとの希望でした。いずれも思い出の場所だったのです。バニョバ夫人は語ります。

 「所轄する行政当局にたずねてみましたが、許可は得られず、やむなく霊園墓地に埋葬しました。希望する地へのあらためての散骨は、規定がより緩和されるまで残念ですが、実行できないのです」

 「しかし、私ども夫婦ももう70歳代半ばとなってしまい、私どもではこの散骨を実行できないでしょうから、2人の子どもたちに祖父の望みを果すように伝えることにしています。小野さんの初めての訪問は1962年でした。幼稚園児と小学生だった息子と娘はすでに40歳代です。息子は米国西海岸に住み、IT関連技術者として世界各地を飛び回っています。昔を考えると本当に夢のようであり、今は孫にも恵まれ幸せです」

 「民主化とともに地方自治体が独自の規定を設ける地方分権の動きがあり、墓地管理への一律の規制も徐々に変わってくると思われます。旧来の伝統的慣例や法的規制の呪縛からも解放されていくことでしょう。私たちの子どもが今の私たちの年齢になるときには、アドリア海とかエーゲ海などに散骨することも夢ではなくなるかもしれません」

 バニョバ夫妻再訪は3年前となります。夫妻ともたいへん元気で、ブルノ市内をあちこち案内してくれました。また「60年代からのチェコとの交流の生き証人」として私(小野)をマスメディアに紹介し、記者から取材を受け、現地の新聞や雑誌に掲載されました。こうしたチェコの人たちとの交流はビジネスがもたらした醍醐味です。

 バニョバ夫人は一流の同時通訳者として評価されており、各業界のリーダーと面識が深く、チェコの葬送関連団体のトップともセミナーを通じて交流があります。

 次回セミナーが開催される際は「NPO 葬送の自由をすすめる会」などの日本の関連団体も参加してもらえるように働きかけたいと、バニョバ夫人は話を終えました。この報告がそうしたきっかけにつながっていくことを心から念じています。  (小野 宏)

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パブラ・バニョバ
チェコ共和国ブルノ市在住。英文学者。英語・ドイツ語の国家公認同時通訳者。

おの・ひろし(小野 宏) 1932 年オーストラリア・シドニー市生まれ。
神戸大学経営学部卒業後、総合商社に入社。1961~67年ドイツ・デュッセルドルフに勤務し、チェコ、ルーマニアなど東欧圏の新規市場開拓に従事。1980~84年ドイツ法人社長。本社に戻ってからは機械部総括室長などを歴任。87年聴覚障害に侵され退職。91年全日本難聴者・中途失聴者団体連合会を社団法人化し、事務局長を10年務める。書に「東欧ビジネス戦記」(PHP)がある。


「再生」第54号(2004年9月)

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