再生の森

 本会が発足する前の1990年頃、東京都の水源林で、リゾート開発計画が明らかになりました。過疎脱却をはかる山村と水源林を保存したい東京都民の両者の対立です。当時、ジャーナリストとして水問題にかかわっていた、当会の会長の安田は、共存できる道はないか考えました。また、お墓が足りない問題も連日報道されていました。安田は解決策の1つとして、遺灰を自然に還し、その時に一定の基金を積んで、村興し・山興しをするという『再生の森』構想を考えました。

 この考えを実現する為に、法律(墓埋法、刑法など)の問題、日本人の葬送の歴史の上で、遺灰を海や野山に撒く自然葬がなじむかという観点から検討し、新聞などで訴えました。

 大きな反響があり、多くの方の支持の下で1991年2月に本会を結成し、10月に相模灘で第1回自然葬をしました。これに対して、厚生省(当時)と法務省は節度をもって行えば問題ないと追認しました。これにより、自然葬は社会的な認知を得て広がっていきました。

 当会が、野山で行う自然葬は、会が所有または、お借りしている場所で行っています。上記のような経過を踏まえて、『再生の森』と名づけています。村興し・山興しにつながってほしいという『再生』と、人は最後に自然に還り、大自然の循環の中で『再生』するという願いがこめられています。

 会の発足後の地道な活動、国民の考え方・意識の変化などにより自然葬の認知度は高まっていますが、未だに抵抗感を持つ人がいるのも事実です。無用なトラブルを避けるため、当会の『再生の森』の場所を詳細に公表していません。

 アメリカやイギリスなど先進諸国においては、国有林や国立公園への散骨が認められています。(州によって散骨を実施する際の規則の差はあります)

全国の「再生の森」 2019年3月現在

ニセコ再生の森
(北海道)
=利用を休止中
久慈再生の森
(岩手県)
大森山再生の森
(宮城県)
上総亀山再生の森
(千葉県)
西多摩再生の森
(東京都)
甲府再生の森
(山梨県)
あづみ野再生の森
(長野県)
阿蘇外輪山再生の森
(熊本県)