会員総会記念講演

自然葬のこれから

2019年会員総会記念講演
 宗教学者 山折哲雄

消化器の病気と循環器の病気

 私は30年前に安田睦彦さんに声を掛けられて、葬送の自由をすすめる会に参加しました。自分が死んだ後、遺骨を大自然の循環に委ねる。これが私の会に対するイメージで、いまだに変わりません。自然葬の最終的な形は散骨になる。海へ山へと具体化して今日に至りました。いろんな抵抗勢力が今日でもありますが、市民運動として広い支持を得て広がってきたのは世界でも珍しいことだと私は思っております。
 今年で88歳になりましたが、3年前に不整脈と脳梗塞で倒れ、全身麻酔でアブレーション手術(編注1)を受けて、幸いに健康を回復しました。私は子どものころからいろんな病気で入退院を繰り返しています。胃潰瘍、十二指腸潰瘍、急性膵炎、急性肝炎・・・。そのたびに激痛、疼痛、鈍痛と、ずっと痛みとの闘いでした。生きるのは本当に重いことだと感じました。
 ところが、3年前の不整脈のときは、そういう痛みがない。生命力がどんどん低下してフワフワするような感じです。消化器の病気と循環器の病気は違うな。病気にも人間存在の重さと軽さを感じさせる違いがあるな。死ぬときは軽さの中で行きたいなと思いました。
 病気をして、自分がいかに重い荷物を背負い続けてきたかと思い知らされました。さまざまな知識、宗教、書物・・・。単にかぶれたに過ぎない知識ばかり、ずっしりと受けて生きていました。もう、それらから身軽になった方がいい。思想かぶれからの自由が、死後の在り方に対する自由を感じさせることにつながるかも知れないと考えました。
 そうした予感がないわけではなかった。胃潰瘍で入院したとき、絶食が続き、3日目ぐらいから物凄い飢餓感に襲われる。これはいまだに忘れられません。ところが、不思議に4~5日目から飢餓感が薄れていく。6日目には体が軽くなり、腹の底からエネルギーが湧いてくる。栄養を絶っても、人の生命力はそれに反逆する動きをするんだと、つくづく感じました。

食のコントロールで往生

 昔、山の中で修行したお坊さんが最期をどのように迎えたか。往生伝とか高僧伝を見ると、自分に寿命が来たと感じたときに、まず食のコントロールに入っている。最初は野菜つまり精進だけで命をつなぐ。やがて、命旦夕に迫ると、五穀絶ちをして、さらに穀物をまったく摂らない十穀絶ち、塩絶ちと進んで、あと1カ月の命と予感した段階で水だけを飲む。最後は水を絶って、1週間でスーッと息が絶える。
 その直前に幻覚が生じます。阿弥陀如来が近づいてきて、頭をなでてくれる。それが合図になって息が絶えるとともに芳香が立ちのぼる。これを霊験と言います。往生伝の80%は、食のコントロールで往生死を遂げている。それで私も死ぬときは断食に限ると決めました。ところが、断食に入ってから地獄の業火に苦しめられる人もいる。極楽に入るか、地獄に入るか。こうなると一種の賭けで、やってみなくちゃわかりません。
 食のコントロール、つまり断食で自律的な死に方をするのが一番確実だと考えたときに出会ったのが、西行です。「願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」の歌で知られますが、実際に断食行に入って旧暦の2月18日に死んだ。まさに自然断食往生死と言えます。当時の人はすごいことだと感心して尊敬する人が増えた。西行伝説が生まれたゆえんです。

西行で死ぬか、親鸞で死ぬか

 私は90歳に近くなりましたが、ここ10年間の社会の変化に驚いています。認知症が大変な問題になってきた。もし認知症になったら食のコントロールはどうなるのか? アルツハイマー型の認知症は時間軸と空間軸の感覚がなくなって、自分の居場所がわからない独自の世界に入っていく。そうなったら食のコントロールはできないし、西行のような死に方はできない。
 この問題が突きつけられたとき、私は長谷川和夫先生(編注2)に出会いました。先生は認知症研究のパイオニアで、認知症の人にはどういう介護が必要か書いていす。特効薬はない、ありのままに受け止めるしかない、それで患者さんの気持ちが安心して平静になれるんだと言っておられる。とはいえ、これは言うは易く行うは難しで、実に困難なことです。
 宗教家も同じことを言います。それを徹底して考えたのが親鸞です。90歳で死ぬ直前に「自然法爾(じねんほうに)」という法話がありますが、「自然のままに、ありのままに」が最も大切だと説きました。そのままのすべてで生きて死ぬ――これが親鸞の最後に到達した考えです。長谷川先生とまったく同じことを言っている。さかしらな頭で考えると、そんなことできるかと思いますが、最後の最後に行くにはその道しかありません。
 私は80代になって、西行で生きて死ぬか、親鸞で生きて死ぬか、さてどっちに行くか、迷い始めています。

死の定義と告知の問題

 超高齢社会にあって私たちの葬送の自由をすすめる運動が、この問題にどういう対応ができるのか、この問題と関係なしにやっていけるかということです。「老い」と「病い」につながって、切ってもきれないのが「死」の問題です。「生老病死」と言って、どこまでもつながっていて切断できない。そのつながりの中で自然葬を考えることがますます重要になっているのではないでしょうか。
 現代の日本社会には葬送の自由を妨げる要素、あるいは心理的な障害が2つあります。1つは「死」の定義です。西洋医学から来た定義で、心臓死が「死」であるとする。それをもっと極端にして臓器移植のために脳死という定義をつくりだした。心臓死も脳死も「死」を1つの点でとらえている。この定義で本当にいいのだろうか?
 もう1つは「死の告知」です。余命を大事にする、残された時間を豊かにするというスローガンのもとに出てきたのが告知です。西洋では死を告知するのは神様ですが、神を否定したから、医者が神の代行者として死を告知することになった。これは、死はあくまで生老病死というプロセスであるという日本の伝統的な死の観念とはかなり異なっています。
 日本では「殯(もがり)」と言って、遺体を死後1週間あるいは10日、1カ月と地上に安置しました。生理的に死んでしまっても魂が復活するかも知れない。このように死を“点”でとらえるのを拒否したのが日本の長い伝統文化でしたが、戦後になってそれをひっくり返したのが死の定義です。
 これは考え直す必要がある。人生70年、80年の時代の死生観では、西洋医学の死の定義は認められるかも知れません。しかし、人生100年時代になって、死を点でとらえられない状態が生まれた。植物状態。寝たきりの状態。意識が朦朧として生の領域にとどまっているのか、死の領域に足を踏み込んでいるのか判然としない状態。このへんのグレーゾーンがどんどん広がって行くでしょう。

セデーションと安楽死

 死を点でとらえた西洋医学でも、安楽死が追求され始めています。これに一番深く関わるのが緩和医療です。薬を0.01ミリグラム単位で調節しながら処方して患者を痛みから解放する。人が死に至るプロセスを観察して、死をとらえている。生と死を切り分ける医学がいわば殯(もがり)の考え方に近づいています。
 こうした動きが医療の最前線で始まっている。セデーション(編注3)と言いますが、緩和療法の別名です。グレーゾーンにいる患者を痛みから解放するための医療で、生かすためか、死を迎えさせるためか、あいまいなところがありますが、後者では持続的な深い鎮静のなかで自然に死を迎えるように持っていく。
 究極のセデーションと言われるのは、夜中に孤独のなかで痛みと向き合っている患者を緩やかに死へ向けて、いざなってやる。その思いを強調しないように注意しながら、家族や介護者が共有する。場合によってはモルヒネを飲ませて安楽死させることもある。これは表に出せば裁判沙汰になるのでほとんど出ません。
 セデーションの現場、とりわけ患者を苦しみから解放して死を迎える夜中のセデーションについて、名古屋大学の小笠原文雄先生(編注4)から聞き出したのが上野千鶴子さん(編注5)で、静かに深い鎮静のなかで死を迎える患者さんの事例をたくさん紹介した本が朝日文庫に入っています(編注6)。

3つの抵抗勢力

 安楽死は表に出すと司法的な問題になるので、この国ではまだ議論する段階になっていません。安楽死に対する拒否感、違和感は根が深いものがあります。セデー,ションの果てに世を去った人の遺体をどうするのかも大きな問題です。
 古い共同体には、ぼけた人を包み込んで共存するスタイルがありました。そうした伝統が失われた今日では、それに代わるのが地域包括医療というやり方です。独り暮らしが増えて、医師や看護師が自宅に行って治療しますが、亡くなったあとの遺体の処理は一切考えられていない。地域包括医療体制のなかに宗教家や葬送の自由の市民運動が関わっていくことが必要になるかも知れません。
 延命治療をして欲しくない人が増えているので、安楽死を積極的に取り入れるよう考えてほしいと、私はよく医者に聞くんです。ところが、安楽死を認める医者は1人もいない。限られた会合では認める意見も出るけれど、表には絶対に出てこない。医学部で安楽死のシンポジウムは1つもない。最大の抵抗勢力が医学界です。
 葬送と深く関わり合っている仏教界もそうです。お坊さんに会うたびに、生前に引導を渡してくださいと、私は頼んでいます。人間は必ず死ぬ。死んでからの引導は無駄だと言っているんですが、仏教界はみんな拒否です。
 3番目の抵抗勢力が法律家。ほとんどの人が抵抗感を示す。ある高名な議員に言ったら、国会では安楽死法案を絶対に通さないと断言していました。
 3大抵抗勢力のために安楽死を正面から考える機会は来ないのではないかと思いましたが、こういう問題についても葬送の自由をすすめる私たちも考えて、そろそろ議論を始めてもよいのではないかと思います。あえて重い課題として申し上げました。

(了)

(編注1)
高周波、超音波、レーザーなどの外部エネルギーを患部の組織に照射して破壊する治療法
(編注2)
認知症を診断するチェックシートを開発した、日本の認知症研究の第一人者
(編注3)
薬物を使って意識を意図的に低下させることで患者の苦痛を軽減する治療法
(編注4)
日本在宅ホスピス協会会長。小笠原内科(岐阜市)院長
(編注5)
社会学者、東大名誉教授
(編注6)
上野千鶴子・小笠原文雄著「上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」(朝日文庫)