火葬率急増が導いた韓国の「自然葬」
墓地政策、国土の効率利用策で一貫
韓国の葬送転換――高村竜平・秋田大学准教授に聞く
韓国が、「自然葬」の奨励を「国と自治体の責務」とうたう新しい葬送法をつくって墓地政策を大きく転換している。ソウルの東120キロの京畿道揚平郡の国有林にできた大規模な樹木葬林について「再生」77号で紹介したが、「自然葬」導入にまで至った背景や現状について、韓国の墓地問題に詳しい高村竜平・秋田大学准教授(社会人類学・朝鮮近現代史)に聞いた。
(聞き手=「再生」編集担当・小飯塚一也)
■「土葬か火葬か」が「納骨か自然葬か」に
高村 韓国の葬制の第1段階の大きな転換は、1990年代から2000年にかけて進みました。2000年1月に公布され、翌年1月施行された「葬事等に関する法律」は、国と自治体の責務として「墓地の増加による国土の毀損を防止するため、火葬及び納骨の拡散のための施策を講究・施行しなければならない」と規定しました。国策として火葬をすすめることを初めて明文化したのです。制限がなかった墳墓の設置期間を15年に限定し、延長は3回しか認めない。60年たったら火葬です。墳墓の面積も縮小しました。土葬して墳墓に入れる伝統的なやりかたから火葬して場所をとらない納骨堂へと誘導したのです。
93年に保健社会部(日本の厚労省に当たる)が原案を国会に出したときは、儒教組織などの反対で保留となりましたが、90年代半ばから、官製の運動組織「韓国葬墓文化改革汎国民協議会」などもできてマスコミキャンペーンが始まる。「火葬遺言誓約書」運動にはソウル市長などの著名人も参加しました。改めて法案が示された97年にはさまざまな運動が展開していました。
初めは火葬は急にはふえないと思われていた。しかし、法が施行された01年に38パーセントだった火葬率は05年52パーセント、07年には59パーセントと急上昇しました。都市部では釜山で07年に80パーセント、ソウルは70パーセントです。
火葬率上昇に比例して、処理する遺灰はふえる。それが納骨堂の乱立という新たな問題につながりました。土饅頭なら無縁墓地になっても放っておけばつぶれるが、納骨堂は石の塊が残ってどうしようもないと批判される。07年の法改正は、こうした納骨堂対策として仏教界や環境活動家などの間にもあった「自然葬」や「樹木葬」の考えを取り入れたものになった。2000年の「土葬か火葬か」という議論が、2007年には「納骨か自然葬か」に変わりました。「納骨」はいまはもう否定的に扱われ、新しい法も「納骨」だったところを「奉安」といいかえています。石の墓に納めるイメージを避けようとしたのでしょう。
■国土開発計画と結びついた70年代
――2000年の法も2007年の法も、目的を「墓地増加による国土毀損を防止するため」と記しています。韓国の墓地政策は、儒教の「先祖崇拝」や「孝」と経済的な国土の効率的利用をどう調整するかの歴史だったといわれていますが。
高村 韓国の近代的墓地政策は、日韓併合2年後の1912年に朝鮮総督府が発布した「墓地火葬場埋葬及火葬取締規則」に始まり、解放後は朴正煕政権が1961年につくった「埋葬及び墓地等に関する法律」の時代、そして現在の「葬事等に関する法律」にいたるまで、国土の効率的利用のため墓地の縮小をはかることで一貫しています。
総督府の墓地政策は、併合後すぐ行われたいくつかの施策のひとつです。土饅頭墳墓が散在するのは、風教上、衛生上害がある、耕地を荒廃させ生産力を低下させるとして、取締規則では、墓地は警察が管理することにし、行政機関が設けた共同墓地以外への埋葬、改葬を禁じ、墓籍の提出を義務付けました。朝鮮王朝時代に儒教の「孝」の倫理によって「正しい葬法」とされた土饅頭墳墓を否定する試みは強い反発を受け、その後制限は緩められましたが、政策の目的は、日本人実業家や軍などからも求められた土地利用の効率化です。
開発独裁といわれ、経済発展中心だった朴政権の墓地への介入が本格化するのは60年代後半からです。韓国滞在中、公文書館に当たる国家記録院で京畿道の農民の奉源順という人物が67年に出した「墳墓地使用規制法制定に関する請願」の要旨という文書をたまたま読みました。墳墓がふえることで農地が減り、対策を取らなければ被害は拡大し産業発展に影響するから墓地規制が必要だという内容で、農耕地や既存林地、都市計画地域の墳墓使用を禁ずる規制法を求めています。文書のわきに大統領のサインがあり、「必要であると考える。秘書室において研究を加え報告してもらいたい」とメモがありました。
請願は国会で審議されました。古くからの私設墳墓の移葬など当時としては過激な話です。予備審査で専門委員から、「過去の慣習により続いてきた墓地に対する管理などは、今のところこれに一時に手をつけると社会に一大変革を惹起せしめる」という意見が出ています。結局、骨抜きになり、68年に行われた法改正は、墓地、火葬場、納骨堂の設置禁止場所や、墳墓の占有面積の縮小などを規定しましたが私設墓地は規制せず、事実上ほとんどの墳墓が規制対象外となりました。
それでも70年には、大統領は保健社会部に「合理的な墓地政策を確立せよ」と指示し、国土総合開発計画で、「墓地公園の開発を促進し墓地の立体化を目指す」と述べるなど、国土開発計画と墓地政策が結びつきました。政府の各部の検討が始まり、それが発展して2000年の火葬推進政策や現在の自然葬推進政策につながっています。
「自然葬」推進の法案をつくった保健福祉家族部(当時)は、「自然葬は親環境的で経済性、効率性の側面から既存墓地、納骨施設より優れているので今後の葬事文化の中心に位置づけられる」といっているようですが、この「経済性」や「効率性」とは、国土の効率的利用ということと同じ意味だと思います。
――「孝」の儒教倫理は、こうした大きな変化の中ではもみくちゃですね。
高村 韓国の墓地問題を考える場合、ソウルを中心とした都市化の進展と墓地の関係が重要です。60年代以降、ソウルの人口は増加の一途をたどる。70年には500万人を超え、90年には1000万人を超えました。現在は、そのとき田舎から都市に移り住んだ世代が亡くなっていく時代に入っています。既存の墓制が前提としていた、一族がある地域に何世代も定住するという形は崩壊し、生きている子孫の住居と死んだ祖先の墓が離れていかざるを得なくなる。新しい状況での墓を通じた先祖と子孫の関係をどう作っていくか。さまざまな意見が出されます。 たとえば、火葬推進のキャンペーンでは、葬改協の事務総長である朴福順という人がインタビューに答え、「われわれが守ってきた土葬中心の葬墓文化により、わが国の錦繍河山は墓地河山になってしまった。土葬に代わる清潔な火葬により、祖先を山の中でなく身近な所でまつり、いつでもお参りする誠意こそ時代にあった孝の実践です」と語っています。火葬納骨墓を、新しい状況に合わせた、新しい「孝」の表現として提案したわけです。
その一方でこんなこともあります。韓国には長く墳墓基地権という権利があり、判例でも認められていました。「他人の承諾を得ずにその所有地に墳墓を設置した場合、20年間その墳墓を平穏無事に維持できれば、その土地に対して地上権に類似した物件を所得する」というもので、勝手に墳墓をつくられても、土地所有者の側が移転させることはできない。「孝」の倫理の表現としての墳墓を重視した内容です。すでにできているものを保護する「時効」のような意味もあり、なかなか手をつけられなかったのでしょう。しかし、2000年の改正法はこの権利を条文で否定しました。墳墓の移転をやりやすくするためです。
■「自然葬」を奨める「葬送の規制」
――韓国の「自然葬」は、海や川など広い自然への関心は薄い。「散骨」というより「埋葬」にとらわれていて、われわれの会の考え方とはズレがあります。
高村 ことし1月、京都大学のこころの未来研究センターという研究機関で「自然葬ワークショップ」という集まりがあり、日本や韓国、台湾で最近起きている「従来の葬送墓制のイメージを覆すような実践」がテーマになりました。韓国の国立民俗博物館の研究者が出席され、「韓国葬墓文化の革新――自然葬」という演題で話されました。その中で、新しい墓地政策について「自然葬はよくて納骨はダメという善悪二元論になっているのが危惧される」と指摘していました。
法は、自然葬を「火葬した遺骨の骨粉を樹木・花草・芝生などの下に埋めて葬事すること」と定義し奨励している。「自然葬」といいながら、海や山などに散骨する日本のやり方はではなく、ヨーロッパの樹木葬などがモデルになっているようです。結局は、上からの土地政策、森林政策であり、基本的に「葬送の自由」ではありません。「自然葬」が望ましいという「葬送の規制」です。とはいえ、葬法選択の幅を広げたということはできるでしょう。
ただ、樹木葬の導入によって墓地問題すべてが解決するとは思えません。ソウルは市内に埋葬可能な市営墓地はなく、火葬場もない。市営墓地など隣の京畿道に頼っているが、京畿道には不満がある。その問題が「自然葬」で解決するのか。市内に自然葬林をつくるのか。墓地問題の根本には都市問題があると思います。
[高村さん略歴] 1968年大阪府生まれ。京大大学院農学研究科博士課程修了。神戸山手大学教員を経て現職。「墓や葬法からみた韓国・朝鮮と日本の比較」を中心テーマに研究をすすめる。