本会と似たカナダの「メモリアル・ソサエティー」
高騰する葬儀費に対抗してスタート
故人の生前意思の保護活動も課題に
八木慶男(カナダ在住・国際ビジネスコンサルタント)
私は、カナダ西海岸のブリティッシュコロンビア州バンクーバーに住んで40年になります。妻はカナダ生まれの日系3世で、祖父母の移住は100年余も前のことです。初期移住者の家系を持つ日系人ということになります。最近、「葬送の自由をすすめる会」でボランティアをしている日本の友人から会のことを聞き、カナダにも似た趣旨の活動をしているNPO団体があることを報告してみようと思いました。歴史的・社会的な背景には違いがありますが、この団体の存在が会の活動の参考になれば幸いです。
移住者の多様な伝統・習慣が混在する国に
カナダの葬送慣習をみる場合、多民族混成連邦国家という特殊性や各州の歴史的背景についての理解が必要です。カナダは、アメリカの独立戦争に参加しなかったいくつかの植民地が連邦化して1885年に形成された国家です。その後もヨーロッパ各国からの人口流入が続きました。先住民(ファースト・ネーションと呼ぶ)に帰属するインディアン、イヌイットの人口は、いま5パーセント弱にすぎません。
独立当初は、フランス系人口の多いケベック州とニュー・ブランズウイック州の一部を除き、圧倒的にイギリス系住民の多い州の集合体でした。その後の中西部の開拓とあいまってドイツ、ウクライナ、ロシア、ポーランドなど欧州中部から農業移民が入植しました。それに対し、太平洋に面しているブリティッシュコロンビア州は東南アジア、インド・中近東からの移住者が多く住み、オリエンタル色が極めて強い地域です。
移住者それぞれの古い帰属文化・宗教的伝統、社会慣習は根強く継承されています。カトリックは1964年に火葬を認めたものの、いまでも埋葬することを推奨し、遺灰の撒布はあまり推奨していません。オーソドックス・ユダヤ教やモスレム教などは埋葬以外を認めません。ここ20年、中国、インド、韓国、フイリピン、中近東方面などからの新移住者が急増し、出身国の葬儀習慣が持ち込まれています。こうした移住者たちはプロテスタント教会系の人に比べると家族の結束が強く、伝統的習慣を重視する人たちが多いようです。
それでも、どの帰属民族集団でも最近は葬儀は簡素にという傾向があります。ブリティッシュコロンビア州の最近の統計では、州の人口410万人に対して年間死亡者は約3万1千人です。そのうち約78パーセントは火葬に付されています。全国平均では56パーセントですので、この地域の火葬率の高さが目立ちます。また、州で火葬に付される50パーセント強が散灰をしていると報告されています。ということは、全体で故人の39パーセントがお墓を作らない、環境に優しい非伝統的葬儀方法で遺体処理をしていることになります。
祖国の伝統的葬儀文化を持ち込んだ一世の消滅、二世の高齢化、それに三世がカナダ社会の指導的立場になってきていることやカナダ生まれの人口比率が5割を超えはじめたということなども背景にあるのです。
本会と似たNPO団体に20万人超す会員
そうしたカナダの各地に、「メモリアル・ソサエティー」という非営利団体ができているのです。私は友人から日本の「葬送の自由をすすめる会」の活動について話を聞いたとき、この団体の理念や活動が多くの点で似ている、という感想をもちました。
全国では、メモリアル・ソサエティーを名乗る団体が6つの州に大小21もあります。それぞれ独立した組織ですが、ケベック州にある「メモリアル・ソサエティー・オブ・モントリオール」は1955年、ブリティッシュコロンビア州の「メモリアル・ソサエティー・オブ・ブリティッシュコロンビア」は1956年に創立されています。一番大きいのはブリティッシュコロンビアの組織で、会員数は20万人を超えています。約410万人の州の総人口の約5パーセントがメンバーということになります。
ブリティッシュコロンビアの組織のパンフレットの巻頭には、次のような1文があります。
「あなたが死亡した後に残される遺族や家族は、大変弱い立場に陥ります。短時間の内にあなたの葬儀についていくつもの重要な決定をしなければなりません。十分な情報がない中で、また往々にして親戚や親族からの雑音が入る中で決断を求められます。愛する家族が直面するこのような重荷を少しでも軽くするために、メモリアル・ソサエティーに加入しませんか。簡潔で格調高く、負担の少ない葬儀が約束されます。心の安らぎと、死後に自分の意思が満足される保障、葬儀に際する家族の不要なストレスの軽減などが約束されます。メモリアル・ソサエティーの会員になり、生前に自分の葬儀プランを済ませてこそ、みなさんと本当のお別れが出来ます。またこれが愛する家族への想い出に残る貴方からの最後の素晴らしいプレゼントとなります」
この報告を書くため、活動内容をきちんと聞いてみようと思い、先日、事務所を訪問しました。
バンクーバーの高層ビルの林立するダウンタウンに近い古い2階建てビルの2階の、予想以上に質素でこじんまりした事務所に、ニコール・レニックさんという、60歳を少し超えた親しみやすい女性の専務理事がいました。話している間もひっきりなしに電話が入ってきて極めて忙しそうでした。
レニックさんによると、どこのメモリアル・ソサエティーも理事会の理事は無報酬のボランティアということです。ブリティッシュコロンビアの組織は、博士号を持つロバート・マックレーという人が理事長で、合計12名の理事が年次総会で選出されています。20万人もの会員を持ちながら、有償スタッフはレニックさんと受付兼秘書の女性だけ。郵便物の発送とか特別な作業のあるときは理事たちが出て来てくれますが、新会員記録のコンピューターへの入力、登録内容の変更、会員からの電話問い合わせや葬儀プラン相談、会員が亡くなったときの遺族や葬儀社との連絡、葬儀モニターなどの仕事は2人でこなしているとの事でした。
人権憲章でき、迫られた葬送概念の転換
56年に創立されたときは「高騰する葬儀費用に対する消費者保護と消費者教育」が目的でした。現在、アメリカ・カナダにある葬儀業者の25パーセントと都市周辺の墓地の多くが北米葬儀業界大手3社の支配下にあるといわれます。業界統合が始まった60年代に葬儀の商業化、費用の高騰が始まったそうです。
82年、英国憲法のもとにあったカナダは、新たにカナダ憲法を制定し「基本的人権」について充実した規定を持つようになりました。故人の生前の意思の保護は重要な課題で、生前の希望に沿った葬儀を行う習慣の確立も大きなテーマになってきました。また、州の人口増加、とくに都市部への集中による墓地の不足や、新しい墓地造成による環境破壊も近年の大きな社会問題です。
レニックさんは「伝統的な葬送を守ろうとすると、故人の意思を実現することができないという問題がおきてくる。人権憲章が憲法に取り入れられ、遺言を残すことで葬送について親戚・親族の意見を調整する煩わしさを排除できるようになった。葬送概念の転換が迫られるようになっています」と語ってくれました。
黙っていると州政府から免許を得た「葬儀ディレクター」が葬儀を取り仕切ります。遺体の搬出・保管、エンバーミングなど遺体処理や納棺、死亡証明・埋(火)葬認可書など公的書類づくり、お通夜や葬儀、火葬場までの輸送、遺灰の受け取りと遺族への配達など、どんどん進めてしまいます。最近、それとは別に「トランスファー・サービス」という業務免許も発行されています。必要最低限の納棺作業や火葬場や墓地への直送、認可証書の取り付け代行ができる免許です。経費も極めて安くなります。このような動きが進んだこともメモリアル・ソサエティーの運動の成果とみられています。
ちなみに、会員登録費は、個人生涯会員が40ドル(1カナダドル=約82円)、寄付を含む賛助会員が50ドルです。会員登録書には、死後の臓器の寄付などの微妙な問題も明記できます。葬儀のやりかた、お墓を作るか否か、散灰を含む遺灰処理の方法などを公式な遺言として残せます。これを無視することは憲法上難しく、死者の意思が実現されるようになっています。
整理すると、メモリアル・ソサエティーの仕事は、?葬儀についての最新情報の提供、?消費者啓蒙運動の促進、?自分の葬儀に関する生前プラニングの奨励や遺言の保管、?付帯サービスとしての、組織の考えに沿った葬儀業者の紹介や臓器の寄贈についての援助手配、?葬儀に関連する環境問題の情報提供や啓蒙、などということになるようです。
英国系の親類にならい、父母も簡素な葬儀
わが家では、カナダ生まれの妻の母が7年前、父が3年前に亡くなりました。母は82歳、父は93歳でした。2人ともメモリアル・ソサエティーの会員ではありませんでした。父は、4歳から16歳まで日本に送られ祖父母の下で教育を受け、古い日本社会の慣習の影響を受けていました。母は、カナダ生まれのカナダ育ち。母は「お葬式はいらない。お墓も納骨堂もいらない。遺灰は美しい花壇に撒いて」といい残して亡くなりました。葬儀社は生前から選んであり、葬儀は葬儀ディレクターの手でスムーズに取り運ばれました。遺体を前にした一般的告別式などもなく、必要な手続きはすべて葬儀ディレクターが代行です。
粉末になった遺灰が家族に届くまで約1週間かかります。母が通っていた仏教会で1週間後に追悼法要をすることにし、新聞に掲載しました。約200名余の人々が参列しましたが、亡骸を拝みにではなく故人を偲び思い出を語りに来られたのです。法要は1時間で終り、仏教会のソーシャルホールで巻き寿司とフルーツ類の簡単なビュッフェ・スタイルの昼食を出してお開きです。父の葬儀も、母の前例があり実に簡単でした。
父母の葬儀が、煩わしいことにとらわれることなく済んだのは、イギリス系の女性と結婚している妻の弟の家族の前例があったためです。そのお二方ともに葬儀なしの追悼法要だけ、お墓なし。遺灰は教会の庭に咲くバラの木の根元に撒くという遺言でした。この身近な実例を見ていた父母の、生前の一貫した意思表示は大きかったと思います。
火葬後の遺灰の撒布に関しては、どの州も基本的には禁止していません。というより、遺灰の具体的な処分方法にかかる明確な規定はほとんどありません。基本的には遺族の裁量次第となっており、一般に遺灰撒布に関する法的な運用は、極めて寛大に取り扱われているように思われます。
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やぎ・よしお 1941年、岐阜県生まれ。
外航船の1等通信士などを経てカナダに移住し、州立サイモンフレーザー大学経済学部卒。スイス銀行系投資リサーチ会社勤務を経てカナダで独立。仕事のかたわら、日本語学校の運営や現地の日系人を支えるボランティア活動をしている。
再生72号(2009.3)