シンポジウム

20周年記念シンポジウム 「自然葬と千の風」

生き方問い直す深く大きな議論が展開
会場から続々質問、講師と熱こもる交流


 「私のお墓の前で 泣かないでください そこにわたしはいません」と、まるで会の歌のようにも聞こえる「千の風になって」が、なぜ国民的流行をみせたのか。その意味合いを探ろうと2009年5月23日、東京・飯田橋の東京しごとセンターで、会結成20周年記念シンポジウム「自然葬と千の風」が開かれました。会場の地下講堂には定員いっぱいの300人の参加がありました。異なる分野の5人の講師それぞれの興味深い話が最後は関連し合い、20周年行事にふさわしい深く大きな議論となりました。

出席者
山折哲雄さん  本会顧問、国際日本文化研究センター名誉教授
なだいなださん 精神科医で作家、評論家
小尾信彌さん  本会顧問、天文物理学者
上田紀行さん  文化人類学者、東京工業大学大学院准教授
佐田智子さん  朝日新聞元社会部記者、ジャーナリスト学校シニア研究員
<司会>
松井覚進さん  本会理事 

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《第1部》 

松井 「千の風になって」という歌は、NHKの紅白歌合戦で秋川雅史さんが歌い大ブレークしました。この歌については、それ以前から佐田さんが調べていました。まず、いきさつを。
団塊世代が創った死の受容の歌=佐田

佐田 私は1946年生まれの戦後団塊の世代の1人です。「千の風になって」とのかかわりは、死をどう受けとめたらいいかを考えたのがきっかけです。これからの日本の「巨大な老後社会」を先頭で生きざるをえない世代の生き方を考え、同時に終点としての死を意識しました。私たちは「死を遠ざけてきた世代」だと思う。けれど取材を始めると、同世代のまわりで壮絶な死が始まっていた。親を看取る。がんで死んでいく。そのときに出合った詩が2つあった。1つはナンシー・ウッドの『今日は死ぬのにもってこいの日』、もう1つが「千の風」。

 「千の風」は1995年に日本で初めて、長野眞さんによって翻訳、紹介されました(『あとに残された人へ1000の風』ポケット・オラクル・シリーズ=三五館)。これを読んで、同世代の女友達の死に際しこの詩を引用し、「1000の風となって」という追悼文を書いたのは1946年生まれの女性医師です。それが「千の風になって」という追悼文集のタイトルになり、新潟の生活クラブ生協など市民運動の人たちに500部ぐらい配られた。その1冊が新井満さんの手元に行ったのです。

 詩が見出され、本にされ、最後に歌になった。すべてが団塊のベビーブーマーたちによって行われた。私たちは死を遠ざけてきた世代だと思う。戦後世代が、やっと自分たちの死の受容について歌をつくったのだ、と思います。

松井 それでは、上田さん。

米国で吹く風と日本の風は違う=上田

上田 「千の風になって」には、複雑な気分を持っています。歌詞はいい。文化人類学的な方からいうとアニミズム。つまり人、風、岩などすべてのものの中に命の片鱗があって、人間と大きな自然はつながっていて循環していくような世界観がある。こういう世界観は好きですが、この歌の歌われ方が気になる。娘とともに区民フェスティバルにいきました。婦人会の人たちが30人ぐらい振り付けをして歌っていた。その疑いのなさ、陶酔感に背筋が寒くなりました。

 「今日は死ぬのにもってこいの日だ」というのはアメリカインディアンの自然の中から出てきた教えですね。アメリカは競争社会であり、自然は人間が統御するものと考えるキリスト教社会です。そういう人間中心主義の社会で、自然と一体となり循環していくということを歌う歌が注目されてくる。一方で、日本文化の基底にはアニミズム文化がある。アメリカのように個人が追い詰められたところで歌われる救済の千の風と、日本で歌っていることは違うのです。

 日本人にとっての風というとき、どこまで私というものがあって風の中で救われていくのか。みんなに吹いているのだから私もという風なのか。ここをちゃんとやらないと、全体としてどこに行くのか分からなくなるのではないでしょうか。

松井 個の問題が提示されました。重要な点と思います。それでは、小尾さん。

人間はたまたま生まれた存在物=小尾

小尾 千の風の詩を読むと、人間の生き死にかかわる詩に思えるので、一体人間とは何だろうかというところを話してみたい。私は宇宙にかかわり66年になります。30代に4年ほど、研究で米国のボストンに行った。美術館でポール・ゴーギャンの有名な絵を見ました。左上に文句が書いてある。英訳を読むと、「我々はどこから来たか、我々は何なのか、我々はどこに行くのか」と書いてあった。そこを天体物理学的に考えるのが宇宙論です。天文学の最先端では、人間とは宇宙の進化の中で現れたちょっと変わったひとつの存在物という以外の何者でもない。

 われわれの宇宙は、140億年ぐらい昔に誕生した。開闢して約1秒で、現在宇宙に存在するすべての天体や物質を構成する素粒子と、それらの間に作用する宇宙の中の力、すなわち重力と電磁気的な力と20世紀に入って見つかったミクロの世界で働く弱い力、強い力の4つの力がそろった。3分たつと、素粒子の間で反応が進み、水素とヘリウムがつくられた。現在も宇宙の成分の98パーセントは水素とヘリウムです。

 始めは小さかった宇宙が、どんどん広がっていく。数億年もたつと温度も低くなる。そうなると物質に働く重力が宇宙進化のかじを取るようになり、水素とヘリウムは何千億という塊をつくった。その1つがわれわれの銀河系であり、数え切れない宇宙の銀河です。われわれの体をつくったり、地球をつくったりしている元素は水素からウランまで自然界に92ある。星は天然の原子炉です。太陽では、水素が核融合してヘリウムをつくる。太陽が進化して老年になると、ヘリウムが核融合して炭素ができる。太陽より重い星ではヘリウムや炭素が融合反応して酸素やマグネシウム、そして鉄などの重い元素までを合成する。太陽の10倍以上も重い星では、星の中心部の崩壊で星全体が爆発し、ウランまでの多くの元素が合成されるのです。

 たまたま、銀河系の中の砂粒にもあたらない地球の上で生命が発生した。そこから長い生命の進化の後で数百万年前に人間の祖先が現れ、われわれは今ここにいる。しかし、宇宙が現在のように整然としているのは、銀河の時代といわれる長くても1兆年だけです。銀河の時代が終わると空には光る銀河も星もなく、ブラックホールのような暗い特異な天体があって、考えられないほど長い時間を経て何事も起こらなくなる。虚無の世界がいつまでも続く。そう考えると、人間が生まれたの死んだの、だれが偉い偉くないの、お金があるのないの、お墓がどうのこうの、そういう話にどんな意味があるのかと思えてくる。

松井 以上のお話は、小尾先生に会がお願いした連続講話「宇宙と人間」でも話され、大要を「再生」の71、72、73号にまとめています。では、なださん。

日本のあちこちに風葬の跡=なだ

なだ 人間はどこから来てどこに行くのかというお話ですが、私は鎌倉から来ました(笑い)。

 私はお墓を買っていない。そのつもりもない。自然保護主義者です。どうして人間は墓をつくるようになったか。重い石の下はごめん。できるなら、庭にでもこっそり灰をまいて、というつもりだ。「なだいなだ」の「なだ(nada)」はスペイン語でなにもないということ。「い(y)」は英語のアンド。「なだ」プラス「なだ」は結局なにもない。宇宙のなにもないと似ています。スペイン語の響きにひかれたのです。鎌倉の円覚寺に映画監督の小津安二郎の墓がある。丸い石に「無」と書いてある。この人もなにもないのが好きだったのだなと思う。

 もっと驚いたのは、伝えられるところによると頼朝の墓という多宝塔がある。鎌倉は墓のかわりの「やぐら」が多いところで3千ぐらいある。北条泰時(鎌倉幕府第3代執権)が平地が少ないので墓を平地につくることを禁じた。しかし、供養はしたいので「やぐら」がつくられたという説がある。私はそうではないと思う。

 頼朝までは風葬をしてきた。沖縄には1960年まであった風葬というのが日本のあちこちに残っていて、そのために「やぐら」ができていた。世界の風葬地帯をみると、「やぐら」型の風葬というのは結構多い。インドネシアもそうだ。鎌倉時代もそれが続いていた。みんな、「伝だれだれの墓」ですんできた。それなのに自分の名前を永遠に残そうという自己主張がだんだん出てきた。一番悪いのが坊さんです。何代、何代と立派な墓をつくった。仏教堕落の原因とみています。1人1人が墓など持つ必要はないじゃないかと思っています。

松井 山折さん、千の風への感想や一握り散骨の心を。

風に妹の面影宿す宮沢賢治の詩=山折

山折 千の風の詩は10年前から読んではいました。読んで最初に思い出したのは宮沢賢治です。賢治の詩や童話のいたるところに風が吹いているのが疑問だった。詩集『春と修羅』には、喜怒哀楽の風が吹いていたり、愛欲の風が吹いていたり、怒りの風、宇宙のかなたからの形而上学的な風、そういう規模の大きな風も吹いてくる。

 『風の又三郎』は、風が吹いてドラマが始まり、風が吹いてドラマが終わる。『注文の多い料理店』では2人の紳士が山に入り猟をしようとする。昼になり「腹が減ったな」とつぶやくと冷たい風が吹く。同時に眼前にレストランが現れる。一連の事件が幕を下ろすとき、また風が吹く。『銀河鉄道の夜』では、ジョバンニがお祭りの日に山に登り丘に仰向けにひっくり返ると冷たい風が吹く。

 あるときハッと思った。賢治が26歳の時、最愛の妹とし子を失う。賢治の世界を知っていたのは花巻でもとし子ひとりだった。喪失感はものすごい。1年後、とし子の魂を追うようにして北海道へ旅をする。後に『オホーツク挽歌』という詩集を出す。なかに、風がさっと吹いてくる詩が多い。その風の中にとし子のイメージを思い描いて呼びかける。自然のさまざまな現象、とりわけ風が吹くときに死者の面影が浮かび上がる。天地万物の中に死者の面影が宿っているという感覚。万葉の時代から日本人にはあった。人間は最期は自然に還るものだという信仰、自然観が長い間存在し続けていたのではないかと考えるようになったのです。

 ちょうどそのころ、自然葬の運動が始まった。気持ちがピタッと合った。葬式しない、墓つくらない、お骨残さない。遺灰にして生き残ったものが旅に出るとき一握りずつそっと撒く。これを三無主義、一握り散骨と称しています。

松井 これまでの発言を聞いて感じたこと、いい残したことなどを。では、上田さんから。

「それでいいじゃん」では危険=上田

上田 以前、この会が上智大学でやったシンポジウム(1996年9月の「お墓討論会」)にも出席しました。驚いたことがあった。会場から質問があり、50代の女性がいかに夫の家の墓に入りたくないかを切々と話した。夫につくし、しゅうとを看取り、墓にまで入ったら何のために生きてきたか分からない、といったときにワーッと拍手が起きたのです。私はそのとき、50代なら墓の話より余命25年をどう生きるかを考えた方がいいのではと思った。だんだん分かってきた。夫の家の墓に入らないと宣言することで、これから自由に生きることを宣言されていたのだと。

 死を考えることは、自分はどこから来て、だれであり、どこに行くのか、にかかわる。千の風に違和感があるのはそういうところで、自分が死んだら風となってという気持ちのいい世界。しかし、この歌を歌いながら、「それでいいじゃん」といっているうちに世の中が悪くなっていく。

 キューブラ・ロスという人は、がんを宣告されたアメリカ人の何百人かを調査して、死を受容していく過程を研究した。まず「なぜ私がこんなことになったのか」と「否認」「怒り」があり、「心をいれかえます。神様治して」と「取引」し、「抑うつ」が来て、最期に受容する過程がある、と書いていた。そう書いた本人が安らかに死ぬと思ったらジタバタして死んだ。

 日本社会はいけない方向に向かっているのではという感じがある。『生きる意味』(岩波新書)を2005年に出したとき小泉批判をした。負ける不安をテコにして競争経済の活力をあげていこうなんて社会は成功したためしがない。選挙で風が吹いて小泉さん大勝ちした。日本人は本当にそんな社会にしたいのかと思っていたら、すぐに格差社会が問題になった。

 人間は何かを背負っていかなければならないし、本当の自由をという根底の欲求がある。しかし、お墓に入って家を継ぐことで保っていた伝統とか、恩師にこたえるというところで人生が支えられるということもある。一足飛びに自由になり風になるところで解決するものではない。自分たちだけが気持ちよくなっていていいのか、という気がしたのです。

松井 小尾さん、ご自身の身の処し方、死生観のようなことでお話を。

日常は達観し高い目標をと思う=小尾

小尾 広い宇宙の中で人間は選ばれた唯一無二の存在で、世界のすべてを仕切っていると考えがちだが、宇宙全体からみると石ころと同じように宇宙がたまたまつくった1つのものにすぎないということです。システマチックで整った今の宇宙はいずれ終わる。地球も太陽も何十億年かたてば霧散して、微塵になって星間の物質に戻る。それからまた新しい天体がつくられる。自分も周囲も幸せであるような人生を送れば、心豊かになってそれが一番じゃないかなあ。

上田 若いときからそう考えていたのですか。

小尾 大学紛争があったのは私が40代のころ。そんな時代から、いろんなことにあくせくするより、日常のことは達観して高いところに目標を置いていこうと思うようになりました。

松井 上田さんは余命25年、小尾さんは何十億年とミクロとマクロの話になった。

生きている間は人間をほめたい=なだ

なだ 歌を歌って気持ちよくなっていればそれでいい、というものではない。その通りと思う。「骨折り」の語源を調べてみことがある。風葬するには骨を折る。砕いて何もかも鳥に食べてもらう。だから何も残らない。でも骨を折るのは大変だ。そういうことを日本でもやっていたからいつの間にか「骨折り仕事」という言葉が日本語の中に残った。知らなかったことを知る楽しみを生きている限りやっていきたいですね。

 自分を見つめていると自分をほめることがある。おしっこしながら、小便の色を見てお前すごい仕事やっているなあ、と。トマト食べ、かぼちゃ食べ、豆を食べ、いろんな色のものを食べてどうして透明なキラキラした水をつくるのか、と。お墓のことは子供たちに決断はまかせようと思う。撒いてくれといっても撒くのは私じゃない。生きている間は、自分というか人間全部をほめてます。

松井 尿は窒素、燐酸、カリを含んだ最高の肥料のようです。

近代の生死に反省迫る地球環境=山折

山折 「骨折り」の話が出たが、古い時代から日本で行われてきたことに「骨かみ」という習慣がある。九州から沖縄に残っている言葉で、葬式の手伝いをする、あるいは追悼の行事に参加するのが「骨かみ」。それ以前は、故人の砕いた骨を食べて、かんで追悼の気持ちを表したという説がある。なださんのお話を聞いて、「骨かみ」の前に「骨折り」があったかもしれないと思いました。骨をどうするかは、昔から大きな問題だったのじゃないでしょうか。

 京都の五山が荒れているという。最大の問題が間伐。人間を焼却する薪にしてはと思うが、消防法、墓埋法などがあってできない。インドのヒンズー教の聖地であるガンジス川のベナレスに行くと、元日から大晦日まで遺体を焼いている。薪がうず高く積まれ売られている。遺族は焼く。看取りをする。人間の最後はどうなるか、それを見ながら体験する。

 骨灰にされた遺体をガンジス川に流す。魂はそこから離れて昇天するという信仰がある。この世とあの世の連続性を保障しているのが魂という、あるのかないのか分からないような、そういう世界だ。そういう死生観、自然観の中で古代の日本人も生きていた。それが江戸時代まで続いていたと思う。先ほど「やぐら」の話があったが、普通の庶民は風葬にしていた。薪を買うお金がない人は、風の吹くまま腐敗し白骨化していく。そういう形で人間の生死の循環を受け入れていた。

 それが近代になって、明治以降になって変わる。法をつくって、遺骨はお墓に納めよとすることは、近代化の過程では受け入れざるを得なかったと思うが、同時にわれわれの生と死の世界はどう考えたらいいか。依然として未解決です。日本人もインド人、チベット人も5000年前、1万年前は基本的に共通する世界観の中に生きていた。近代化の課程で彼我に大きな違いが出てきた。そのことの根本的な反省を迫られている。それを迫るのが地球環境問題です。エネルギー問題、食料問題を含めてどう解決するか。「骨かみ」の慣習を含めて、間伐材をどう活用するかということを含めて人間の生死を考える時代にきているのかなと思います。

松井 地球環境問題にもなってきました。佐田さんは。

悼む言葉欲した時代を考えたい=佐田

佐田 千の風を歌う姿をみて上田さんの背筋が寒くなったのは分かりますが、1つのトレンドとしてそういうことが今起きたことはどういうことか考えたい。小尾先生の話はとてもよく分かりました。でも、なんで私は私なのか。母が死んだとき悲しい。深い喪失感がある。そういう人たちが集まっているのが人間社会だと思えば、時代時代に死を悼む何かが必要なのだと思う。千の風のブレークをみていると時代が死を悼む言葉を欲していたと思う。戦後社会を野放図に生き、これから大量に死んでいく世代が言葉がほしいと切実に思ったときに、オウム事件があり、阪神大震災があり大量の死者がでた。その直後の1995年に「1000の風」も「今日は死ぬのにもってこいの日」も世に出ている。

 葬送について、私も自由が広がることは賛成だ。自然葬みたいなのがいいと思う。ただ、残された者のことを考えるとちょっとためらう。私は新聞社で34年働いた。母が私の子供を実の子のように育ててくれなければ働き続けることはできなかった。その母が定年の前に死んだ。「おばあちゃん」は風になってどこかに行っただけでは済まされない。墓は、骨を埋めるだけでなくその人を思い出し祈ることで自分が救われる場所でもある。だからまだ迷っています。

《第2部》 
会場から講師への質問
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問 小尾さんへ――人類はほかの物体になるのですか

 気宇壮大なお話で晴ればれした気持ちになりました。暗い宇宙の時代になったとき、人類としては存在できないのですか。元素に戻って何かほかの物体になるのですか。

小尾 ここにいる方はどんなにがんばっても100年以内に死ぬ。土に返ろうが、水に流れようが、風となって地球で吹いても、当座は地球の上の物質として存在する。それはどんなに長くても地球が存在している間に限られる。地球は数十億年のちには太陽の熱で気化して星の間の物質にまざってしまう。星の間を漂い、それらが固まって次の世代の新しい星になる。天体が死んで新しい星が生まれるという循環は、数百億年というサイクルで繰り返されるが、それも銀河の時代(現在のように銀河が宇宙を構成する基本的天体であるような時代で、およそ1兆年続く)が続いている限り。それ以後ずっと続く暗い宇宙の時代には銀河も星もなくなってしまいます。
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問 なださんへ――臓器移植などをどう考えますか

 自然に土に還りたいという考えは生きている間もなるべく自然に生きていたいという考えにつながると思う。臓器移植や行き過ぎた医療的措置についてはどう考えますか。

なだ 国が法律で決めようとするから問題になる。私は、交通事故で死んだとき、使えるものがあったら全部使っていいよと紙に書いてもっています。私はいいが、いやだという人にも法で脳死になったら移植の材料に使っていいと決めるから問題が起きる。1人ひとりが自分の考えで、私は脳死でいいよといったらそれを尊重する。そうすれば問題はないと思います。

 安楽死の問題もそう。私の母は、「意識がなくなり治る見込みがなくなったら楽にしてね。そのために医者にしたのだから」というのが口癖でした。100歳の手前まで生きたが、病院に入ったとき点滴針をぬいてマットレスに刺している。「看護婦さんには言わないで」という。暗黙で了解を与えて自由にさせました。それを医者にまかせるとスパゲティ症候群にして無理やり生かそうとする。

 さっき言い残したが、鳥葬の場合、骨を細かく砕いていた。鳥が食べやすくするためという思いやりがある。地表にあって死んだものは大体は他の動物に食べてもらった。そうして人間はあとかたもなく死んでいった。仏教の説話の中にも動物に自分を食べさせる話がたくさんあります。
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問 山折さんへ――千の風の歌の流行でお寺は困っているのですか

 瀬戸内寂聴さんがテレビで、「千の風になって」の流行のおかげでお寺は困っていると言っていました。本音が出たと思いました。その点を。

山折 基本は今のお坊さんがこの世を去っていく人の魂の看取りをしていないのではないか、ということがある。現実の宗教があまり社会的に機能していないことと、「千の風になって」が爆発的に流行したこと、団塊の世代が中心にそれを広げたことと関係があると思います。仏教界では「千の風になって」に対して反発、批判、違和感を述べる声が非常に多かった。良質な反論は、本来看取りの場で宗教家、僧侶が真剣にかかわらなくてはいけない、儀式のような葬儀をやって後は葬儀屋さんにまかせるような無責任な看取り方を反省しなくてはいけない、千の風のような歌をはやらせる状況をつくってはいけない、という。

 私はどうかというと、あの歌を歌うことで亡くなった人を本当に見送っているのかというと、そうではなさそうだという感想があります。「おくりびと」という映画が爆発的な人気をえた。が、現実のわれわれは死者を映画のような形で送っているのか。センチメンタルに感動しているだけではないのかという疑問を持たざるをえなかった。

 私も78歳になり、友人、知人が亡くなる。葬儀の場に出る。その場に掲げられている最近の写真は若々しい、笑顔を浮かべている。その下にある棺、骨つぼがほとんど花に埋めつくされている。位牌の周囲も花、花。死者の面影を大きくかかげることによって、あたかも生きているかのように故人を呼び寄せようとする。送ろうとしている気持ちが伝わらないような演出になっている。最近の葬儀は写真葬だ。写真が生きている者と死者の間をつなげようとする。死者を送っていない。現代日本人はどこに何を送ろうとしているのか。葬儀の最後に、お棺の小窓から遺体の表情に手を合わせる。あるとき若者がやってきて小窓からケイタイを差し出して写真を撮ったという。葬儀のマナーとしてはありえないことだ。そういう現象が出てきたことと式場に大きな写真を飾るということは関連があると思います。
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問 上田さんへ――死について若い人に教えてほしい

 基本は亡骸は土に返すことと思う。私は戦争中に船に乗っていたので死については目の当たりにしてきました。若い人に教えてほしい。

上田 団塊の世代の方々、あるいはここにいる人たちがどのような死にざまを見せていくのかということが、若い人たちへの最大のメッセージとなる。だれでも教育者になれる。千の風となった死者とどのように出会いなおすのか。その出会い自体がドラマだと思います。

 個人的な話だが、20代に落ち込んで大学にも通えなくなった。そこから癒しの研究に入った。40代になってからも絶不調がきて悩んでいたとき、NHKから「『癒し』のゆくえ」(1997年1月放送)という番組制作の話があり、たくさんの人と対談した。アメリカでアメリカインディアン出身のレスリイ・グレイというカウンセラーに会った。ハーバード大学で心理学を修め、シャーマニックカウンセリングもやっていました。対談だけでなく、それをやろうということになった。

 赤いきれ端がたくさん置かれた。「人生で傷ついたり、うらんだりいじめられたりしたことがあったら全部封じ込め、糸で結んでこちらに出しなさい」という。心が憤懣でいっぱいだと新しい創造性や次の人生の生き方が入る余地がないという。10包みぐらいできて、サンフランシスコの公園に捨てました。森に捨てれば全部アースされ地球が吸い込んで浄化してくれるという考え方です。その後で、今度は、寝転んで眼帯をしてインディアンの太鼓を鳴らしながら、あなたの魂が上昇してあるところまでいったと思ったら「助けてくれ」と世界に向かって叫べという。叫んだら、向こうに私の小学校時代の杉並区立高井戸第2小学校の6年1組の教室が見えてきたのです。教えていた40代の担任の先生の姿が現れると、私は号泣していました。

 先生は宿題をほめてくれ、自信を与えてくれた。10歳の子供に差別はいけないと教えてくれた。その先生は60歳でがんでなくなった。その時とても悔しかったが、それから10年先生のことを忘れていた。その先生が、私が先生と同じ歳になって人生に迷っていたときに出てきて、オレのように生きろと教えてくれた。死んでからでもできることがあるんだと思ってから死ぬのが怖くなくなった。ドラマがあり、深いきっかけの中で生者と死者は出会っていくと思う。
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問 佐田さんへ――マスコミ報道には抵抗を感じるが……

 千の風の詩は好きだがマスコミ報道の銃弾には嫌悪感があり、今回の「自然葬と千の風」という題にも抵抗を感じた。自然葬はもっと深い人生観、哲学、思想にもとづくものと信じたい。

佐田 私が追ったのは新井満さんが歌をつくって、NHKで歌ったところぐらいまでで、あとは電通、NHK、朝日新聞など大メディアがすることをみているという形でこの歌に対していた。でも、秋川さんが歌って、NHKの紅白歌合戦の歌になったことも何か意味がないわけではないだろうと思うようになった。文化、社会が変化する時は、眉をひそめるようなことと共に新しいものが立ち現れ広がっていくのだと思う。薄っぺらに見えても、それも人の感情、文明、文化はそういう形で生まれてくるのではという気がした。山折さんのお話があったが、私は取材で深いつき合いのあった先生の葬儀の際に遺族の許しを得てケイタイで顔を撮った。これをどう解析するか。死者を悼んでいないことか、あの世に送っていないことなのか。死者を送ることについて、現代の社会の中で決着がついていないということを、今日、とても感じました。
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司会のまとめ
相互につながり合った5人のお話

               松井覚進

 5人のパネリストのお話は、それぞれ個性的でありながら、相互に関連するところもあり、これからどう生きるか、死をどうとらえるか、という私たちの課題に刺激を与えてくださいました。太平洋戦争中の若者たちの相当数は、自分は25歳まで生きればいいと覚悟していました。ところが、戦後生まれのベビーブーマーたちは、死をタブー視してきた。年齢を重ねて死を考えるようになり、「千の風」という形でそれが出てきた。「千の風」現象には、旧世代にはとらえにくい雰囲気が漂っていて、そのことを佐田さんは率直に語ってくれました。上田さんは「千の風」ブームに流されていく日本人の怖さを敏感に感じとって、個の大切さを提示しました。しかし、シャーマニックカウンセリングによって、小学校時代のすばらしい先生と出会い、救われた体験を披露され、それは佐田さんの娘を実の子のように育ててくれた母親の死による喪失感という体験と個からの発想という点でつながっています。お2人の生活感あふれる話は説得力がありました。

 小尾さんの結論は、「万物は宇宙から生まれ、宇宙に還る」ということと思います。ヘラクレイトスの「万物は流転する」は弁証法など、哲学・思想に影響を与え続けましたが、これからは最新の宇宙論を基に、ものの見方、考え方をつくっていかなければならないと痛感します。キーワードの1つが「無」です。「なだいなだ」が英語でいえば「nothing and nothing」ということを知り、なださんの「無」からの発想は、小尾さんの宇宙観からくる人生観と通じます。また、山折さんの三無主義は、具体的に墓とか葬送とか骨灰についての「無」ですが、これも小尾さんやなださんの考え方に近いものがあっての結論に違いありません。

 死を考えることによって、余命を自由に生きられること。宮沢賢治の作品のさまざまな風、とくに『風の又三郎』を朗読させて大気の大循環を語った気象学者がいたが、詩人の直観と自然科学の間には相通じるものがあること。nothing に徹することによって、something がうまれること。有意義なひとときでした。

(2004.9)

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